2009/06/28

09.6.28「箱舟からの出発」

創世記8:14-22
:14第二の月の二十七日、地はかわききった。
:15そこで、神はノアに告げて仰せられた。
:16「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。
:17あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」
:18そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。
:19すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。
:20ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。
:21主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。
:22地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」


序)新しい出発
復習しましょう。
大洪水が起こりました。すべてのものを流してしまう洪水からノアたちをまもったのは、箱舟でした。
この箱舟に塗られたアスファルトはあがないをあらわしていました。
そして、箱舟と一緒に水の中に入ることで、救われました。この水は、水のバプテスマです。

今日は箱舟からの出発というテーマでこの個所から教えられていきたいと思います。

さて、新しいスタートはいろいろあります。
入学、進学、就職、転職、結婚・・・新しいスタート、それは期待があります。
そして、夢があります。
また、新しいスタートは、不安の時でもあります。
何もかも新しいわけですから。
新しいスタートは、期待と希望と不安の時です。
ノアたちも新しいスタートの時です。
すべてのものが水に覆い尽くされてしまいました。ただノアの箱舟だけが、プカプカと浮かんでいます。その水は150日間世界を覆っていました。
でもその水もだんだんとひいていきます。そして乾いた土地が見えて来ました。
さあ!これからです。何もかもが新しいのです。すべてがここからはじまります。
新しいスタートです!
おそらく不安と期待が入り交じった感じだったでしょう。
でも知ってください。どんな時も主は共におられます!
たとえすべてのものが水で流され、すべてを失ってしまったとしても、イエス様はあなたと共におられます。


1.嵐の中での信頼
さて、そとの嵐もおさまり、日差しが差し込んできました。
「嵐がおさまったな!」そういって窓から外を見ると、目の前には海が広がっています。
陸は何も見えません。150日がたつと、水がひきはじめました。
しばらくして、船が大きくゆれました。地面に当たったのです。
しかし外を見てもやっぱり海です。実は箱舟はアララテ山の山頂にとどまりました。
ノアは考えました。水がひいたかどうか見る方法はないか?
ぞうやロバを放したらジャバン!と沈んでしまうし・・・・そうだ、鳥を放してみよう!
そこでまず、カラスを飛ばしてみました。
しかし、カラスは水がかわききるまで、出たり戻ったりしていました。
次に、鳩を放しました。
しかし、鳩は降りる場所が見つからなくて、箱舟に戻ってきました。
しばらくして、もう一度、鳩を放してみました。
夕方になって、鳩は戻ってきました。
すると今度は、オリーブの若葉をくちばしにくわえていたのです。
とうとう水がひいて、オリーブが育っている事を知りました。
それから7日後にもう一度鳩を放しましたが、戻ってきませんでした。
ノアたちは喜びました。さあ、外を見てみよう!と箱舟を覆っていたものを取り除けると、土地はかわいていました。
その時です。
この時、神はノアに言われた、「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。

神様はノアに語られました。

みなさん、この洪水が起こってから神様が語られたのはいつですか?
実は、何も語られていないのです。

箱舟の中で、嵐の中で・・・・それも何ヶ月もの間です。主は何も語られませんでした。
想像して見てください。
暗い箱舟の中です。しかも嵐の中。
強い雨の音と船を叩く風の音が響いています。そんな中で不安や恐れがあったでしょう。
いつになったらこの嵐はおさまるのか?
40日です。40は試練をあらわす数字です。きっとノアたちにとっても試練だったのです。
「もう神様から見放されてしまったのでは?」
「このまま何日も何日も流されて、食料がなくなって・・飢え死にしてしまうのでは?」
「ああ!こんな苦しい思いをするんだったら、一思いに水に流されたほうがよかったかも」
なんてことも考えたかも知れません。

きっと祈ったでしょう!「神様!答えてください!何か一言でも!」
何か語られれば、きっと落ち着いたでしょう。でも何もなかったのです。

なぜでしょう?
それは、はじめてのスタートにかかせないことを教えるためだったんじゃないでしょうか。
「主に信頼する」ということです。

1ペテ2:6 聖書にこう書いてある、「見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない」。

そうです。主に信頼する人は決して失望に終わることがありません。
何日も船で揺られて、自分ではどうすることもできない状態。でもそんな時も主は共におられる。私を愛されるお方だ・・・と。たとえ主の言葉がなかったとしても!です。
私たちは主の言葉を待ち望みます。でも、主はいつもすぐに答えられるとは限りません。
そんな時、イエス様は私たちを見放されたのでしょうか?
そうではありません。私たちは箱舟の中にいるのです。
どんな時もアスファルトで守られた主の恵みの中にいることをわすれてはなりません。

主が語られるまで何もしないのでしょうか?信頼しても何もしない、ということではありません。
ノアはどうしましたか?鳥を放しました。そうです。今できることをするのです。
神様はあなたにいろんなことをゆだねておられます。恐れないで、主に信頼して歩みましょう。
なぜ、イエス様を信頼できるのですか?
イエス様は私達のために十字架で命を捨てて、愛を示し、救いを与えて下さいました。この事実を知る時、信頼できると断言できるのではないでしょうか。

「今できることをする。」

人生の中で、なんで?と思うこともあるでしょう。
全てを今知る事はできないかも知れません。
でも、全てをイエス様に委ねて今できることをするのなら、可能でしょう。
全てのことはやがて明らかになるからです。

詩篇37:5-6 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。

やがて、明かにされるでしょう!

大切なことは、私は主の道を歩いている!という自信を持って、あなたの足で歩くことです。
そんなあなたを、イエス様はいつも見守っていて下さるのです。アスファルトで覆われた箱舟で守られているように!

「不安の中でも、主に信頼し、主に全てを委ねて、今できることを行動しましょう。」



2.箱舟から出た時に
さあ、いよいよ箱舟から外へ出る時がきました。長い間船に揺られていましたから、きっと外に出るのが待ち遠しかったでしょう。
ノアは長い間、暗い船の中に閉じ込められていました。
自分から外に出ることはできないのです。主が扉を閉められましたから。
小さな窓からなんとなく外を見ることができるだけ。
でもとうとう扉が開かれました!
暗い船の中から外に出る時が来たのです。まぶしい光が射し込んできます。
見ると山の上のようです。もう草や木も育ち初めています。
きっと美しい風景だったと思います。
やっほ~!と外へでて飛び跳ねたのでしょうか?まず食べるものを探したでしょうか?
何かを調べ始めましたか?そうではないですね。
 
ノアは箱舟から出て、まず最初に何をしたでしょうか?
:20 ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。

ノアはまず、祭壇を築いて主を礼拝したのです。まず最初に・・・・・

新しいスタートです。すべてのはじまりとなる大切な時です。その時、ノアは祭壇を築きました。
主に感謝し、ささげ、そして祈ったのです。
この後、聖書に出てくる人達はみな祭壇を築きました。
それは、主と出会った時、主の御声を聞いた時です。
ノアも主の御声を聞きました。そして、祭壇を築いたのです。

私たちは、どうでしょう。今、神様の言葉、聖書が与えられています。だから、いつでも主の言葉を聞くことができます。だから、祭壇を築きましょう。
今日も祭壇を築いてます。

すべてのスタートに祭壇を築きましょう!主に信頼するからです。

詩篇115:9 イスラエルよ、主に信頼せよ。主は彼らの助け、また彼らの盾である。

ノアは箱舟の中で、主に信頼することを学びました。そしていつでもどんな時でも共におられることを知っていました。だから、まず最初に祭壇を築いたのです。
イエス様に頼らなければ、私は何もできないのだ!ということを知っているからです。
だからスタートに「私は主に信頼します」と祭壇を築くのです。

私たちは、すべての中にイエス様が働いておられるのを知っています。
いつも、どんな時も共におられることを知っています。

だから、ごく当たり前の1日のために祭壇を築きましょう。

別に石をつんで祭壇を築く必要はありません。
主に心を向けて、「イエス様、感謝します!私にはイエス様が必要です!今日もあなたに信頼します!」と祈りましょう。
1分でも30秒でも、1日のまず最初に、祭壇を築きましょう!

布団の中でも良いでしょう!
歯を磨きながらでも良いでしょう。もしちゃんとおきて、聖書を開けばなお良いでしょう。
まず、できるところから、主に祭壇を築こうではないですか?

かたちではないのですから。いえ、むしろイエス様は形だけの祭壇を喜ばれないでしょう。
心のない、立派な大理石の神殿よりも、石ころで作られた、心からの祭壇を喜ばれるでしょう。

週の初めにこのように祭壇を築いていることは主に喜ばれることですね。
立派な集会ではないかも知れませんが、そこに主を愛し、イエス様を心から求める人が集うなら、主が喜ばれる祭壇だと思います。

1日のはじめに祭壇を・・・と言いましたが、毎日主に祭壇を築いたからある日突然、何かが劇的変わる、ということはないかもしれません。
でも、確かなことは、あなたが主に信頼して1日を歩むことができるということです。
私にはイエス様が必要だ!とイエス様を意識して歩むことができるということです。
そして、イエス様が私たちを助け、盾となられることを知るでしょう!

詩篇115:9 イスラエルよ、主に信頼せよ。主は彼らの助け、また彼らの盾である。

1日に、仕事に、人間関係に、家族に・・・・・すべてに主の祝福がありますように!


結)祭壇を築くことは、できること
私達が今できることは何でしょうか。できることから始めましょう。
祭壇を築く事も始められるでしょう。

主に信頼し、主の前に祭壇を築いて、新しいスタートを毎日始めることは本当に幸いです。

2009/06/21

09.6.21「天の父の思い」

マタイ5:43-48
:43『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
:44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
:45それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
:46自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
:47また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
:48だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。

序)父の日です。
父の日は、もともと母の日ができたので、あとでとってつけてできたようなものだそうですが、
母の日がお母さんに感謝を表すときであるなら、父の日もまたお父さんに感謝を表すときであるべきですね。
さらには、この機会に父というものをもう一度意識することができるならそれもまた素晴らしい事だと思います。

今日は、この箇所から、天の父である神様との関係について、ともに見ていきましょう。

1.天の父の性質

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられる父の子どもになれる、と言われています。
しかし、とても難しい事のように感じるかもしれませんし、実際に難しいかもしれません。

敵とは、自分に害を加えてくるかもしれないものです。でも、その敵を愛せよというのです。
迫害する者とは、実際にいろんな妨害をしてくるかもしれないのです。でも、その者のために祈りなさいというのです。
祈ることができるのは、その人のことを受け入れていたり、愛していたりしないととても難しいことだと思います。
そのようなことを天の父が私達に願っておられるのです。

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるとあります。
梅雨に入って、先週はあまり雨が降りませんでした。
でも、車で走っていると、ある車の上だけは雨が降っていたりするわけもないのです。
今では長浜も結構な観光地となって、街中も人がたくさん歩いています。
そんな時、ある人の上は晴れていて、ある人の上は雨が、またある人のうえは曇っている、、といったことはないのです。
太陽が昇るときは、そこにいる全ての人の上に同じように上ります。
雨が降るときはそこにいる全ての人に注がれます。

また、
「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。」
と言っています。
自分を愛してくれる人を愛する事はある意味簡単かもしれません。
自分の兄弟だけにあいさつしたからといって、それは何もすごいことではありません。
それらは、ほとんどの人ができることであるし、している事なのです。

天の父は、それらの人も含めて、全ての人を対象としておられるのです。
天の父は、相手がどんな人であっても、同じ恵みを注いでおられるのです。

これは、何かに似ていませんか。
そう、救いの福音です。
イエス様は十字架に架かって私達全ての人のために身代わりとなって命を捨ててくださいました。
全ての人は、このイエス様の救いを受け入れるときに、救われるのです。
その人が敵であっても、見方であっても、迫害する人であっても、良い行いをする人であっても、悪いものであっても、、、です。
どんな人であっても、信じるなら、救われるのです。
同じ恵みが注がれています。

これが天の父なる神様の性質なのです。
そして、天の父なる神様の思い、願いは、全ての人がこの救いに預かってほしいということです。

普通、父親は(母親であっても)、子どもがどんな子であろうと受け入れ、愛し、生きて育ってほしいと願うものです。

天の父なる神様は、それ以上に私達に対してそのように願い、愛しておられるのです。


2.天の父のように

:48だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
とあります。

天の父は、私達がどんなものであっても、私達を愛し、救いを用意してくださっています。
そして、救われた私達に対して、神が愛してくださったように、どんな人をも愛するように言われています。
そのために、神は、私達に聖霊を与えてくださいます。

ロマ5:5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

その聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれるのです。
その神の愛によって、私達もまた愛することができるようになるのです。
愛する事ができないなら、受け入れる事ができないなら、聖霊を求めましょう。神の愛を求めましょう。
その時に、神がそうであられるように、私達も愛する事ができるものへと変えられていくのです。

そして、天の父が完全なように、完全なものへと変えられていくのです。

2コリント3:18
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

栄光から栄光へと主と同じかたち、即ち完全へと霊の姿が変えられていきます。

そのように、求め、天の父に近づき、天の父のように完全へと変えられていくなら幸いです。


結)天の父の思い
天の父は、私達がどんなものであっても、私達を愛し、私達に救いを用意されました。
そして、救われてほしいと願っておられます。
あなたはこの天の父なる神様の愛を受けているのです。気付いていないかもしれませんが、確実に注がれています。
あなたは、神の愛からくるこの救いを受けておられますか。受けましょう。
そして、救いを受けた私達は、天の父なる神様が完全であるように、主と同じ姿に完全になるように、聖霊を受け、神の愛を注いでいただき、変えられて行きたいと願います。
それが天の父の私達に対する思いです。
今日、この父なる神様の思いに応答する人は幸いです。

2009/06/14

09.6.14「閉じられた扉」

創世記7:6-16
:6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。
:7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟にはいった。
:8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、
:9 神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところにはいって来た。
:10 それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。
:11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。
:12 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。
:13 ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟にはいった。
:14 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、はいった。
:15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところにはいった。
:16 はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。



序.洪水は本当?
変なことを聞くようですが、洪水は本当にあったのでしょうか?
みなさんどう思いますか?洪水の話しでとても面白いことがあります。
それは、世界中に洪水の伝説があるのです。なぜでしょうか?
それは、洪水は事実だということ、そしてひとりの子孫、ノアからその話が始まり、世界中に広まっていったからだと言えないでしょうか。

今朝はその洪水の日の出来事から、教えられていきたいと思います。


1.洪水の日・・その日神様は箱舟を用意されました。

:6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。
:7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟にはいった。

「終りの日のために神様は救いを用意された。」

:11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。
:12 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。

洪水は恐ろしいですね。
でもノアの洪水はもっと恐ろしい出来事でした。
ノアが箱舟を造りました。作っている時、みんなは馬鹿にしたでしょう。でも彼らが箱舟に入ってから7日たった時、雨が降り始めました。
最初、みんなはいつもと同じ雨だとおもっていたでしょう。でもいつまでたっても雨は止みません。
それどころか、今までみたこともないほどの勢いで、雨が滝のように降って来るのです。
その雨は40日40夜降り注いだのです。
だんだんと、水かさが増えていきます。人々は家を棄てて、丘の上に上がりました。
でも、水は丘の上にもあがって来ます。
さらに、人々は山を登りはじめました。
でもどこまで登っても水はやってきます。とうとう逃げる場所がなくなってしまいました。
どうすることもできないのです。そして、人々は水の中にのまれてしまいました。

世界中のすべてのものが水の中に沈んでしまったのです。それがどれだけ高い建物であっても、高い山であっても、すべてのものが水で覆われてしまいました。あの箱舟がいまもあるといわれている山がアララテ山という山で、その頂上は、氷河で覆われています。それほど高い山でさえも、水の中に沈んでしまいました。誰も生き残ることのできないような洪水です。

それほど恐ろしい洪水がやってきた時、世界で唯一安全な場所がありました。
それは、神様が設計されたノアの箱舟です。
箱舟はどれだけ雨が降ったとしても水から、そして強い風の嵐から命を守ってくれるのでした。

●命を守る唯一の方法、それは神様が用意された箱舟(救い)に入ることです。
使徒4:12 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

山には色々な道があるけれど、すべて頂上につながる・・・本当に?
道のように見えて、実は谷底に落ちていく道もあるのではないですか?
良い宗教と悪い宗教の違いは?どこからどこまでが・・・・
そうではないのです。救いはただひとり、イエス様です。

それは、まるでこのノアの洪水の時のようです。
箱舟?なんでそんなものに入る必要があるんだ?雨が降ったら屋根に登るさ、あの高い丘だってある、もし大洪水があったとしても、あの高い山に登れば大丈夫!
でも、どれだけ高い山に逃れたとしても、水はすべてを飲みこんでしまいました。
色々な宗教が救い?それは高い山のようです。どれだけ高いとしても、人を救うことはできないのです。
救いは好みで決めるものではありません。
神様からの唯一の方法です。世界でただ一つ。神様がつくりなさい、と言われた箱舟だけです。

人が考えた方法ではなく、神様が定めた方法でしか救われないのです。

それはイエス様の十字架です。箱舟に塗られたアスファルトはあがないと同じことばが使われています。
そして、嵐の風を、水を、身代わりに受けてくださいました。
水・・・それは洗礼、バプテスマです。水の中を通って救われたからです。

私たちを救う世界でただ一つの方法、それはイエス様の十字架です。

●ノアの洪水のように、私たちを滅ぼす罪が世界を覆っています。
そして、私たちの人生最期の日がやってくるでしょう。洪水のようにすべてのものを終わりにしてしまう時がやってきます。
その時、私たちのすべてが終わるのでしょうか?
そうではありません。

ピリピ3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

私達には、この地上の生涯のあと、永遠の時間が約束されています。
その方法はイエス様だけです。

大切なことは、唯一の救いはイエス様だということです。
神様は洪水を起こすのが目的ではなく、そこから救い出すことが目的なのです。

あなたは箱舟にのっていますか?


2.洪水の日・・・その日神様は箱舟の扉を閉められました。

:16 はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。

「世の終りの日。その時、神様は扉を閉められる。」

でももう一つのことを知らなくてはなりません。それは洪水の日の前に起こった出来事です。
ノアと家族とは箱舟に入りました。そして動物たちも箱舟に入りました。
8人のノアの家族とすべての動物たちが箱舟に乗った時、何か音がします。
入り口の方へ行ってみると、ドアがしまるのです。
神様が戸を閉められたのです。
入り口はたった一つだけ。その入り口を神様が閉めたのです。
そしてもう開けることはできません。
それは洪水が終わるまで開けれられることのない扉です。
それは何を意味するのでしょう?
そう、命と死とをわける扉です。その扉を閉められたのです。
神様が救われる人と、そうでない滅びる人を分けられた瞬間なのです。

神様は、喜んで洪水を起こしたのでしょうか?けしてそうではありません。
神様はできることなら、すべての人に命を与えて生かしたいと願われているでしょう。
でも、その扉を閉めなければならない時が来るのです。

その時のノアの悲しみはどうだったでしょう。・・・・
親戚の声が聞こえてきます。友人の声が聞こえてきます。
でも開けることはできないのです。神様が扉を閉められたからです。
ノアはじっとその声を聞いていました。悲しかったでしょう。
でも、その人々の声をもっと悲しみをもって聞いていたのが、神様です。
できることなら助けたかったでしょう。
でも、扉を閉めなければならない時がくるのです。

でも、神様は洪水のあといわれました。もう私はこんなことはしない!
神から離れた人が罪を犯すのはあたりまえ、だから・・もっと違う方法で解決することを。
それがイエス様の十字架です。
新しい、そして完全な箱舟です。今度はノアだけではなく、誰でも入ることができる救いです。
ただ、イエス様を救い主として信じるだけで、その扉の中に入ることができます。
その扉はいつでも開いています。

でも・・・・いつ閉じるかわからない扉でもあります。
マタイ24:35~39
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。:36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。:37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。:38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。:39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

私たちに与えられている使命の重さ、神様が与えてくださったチャンスを生かすことの大切さを理解しましょう。
この扉は、いつ閉じられるのかわからないのです。
そして、私たちの力で開くことはできないのです。
その時・・・・ノアと同じ悲しみをしたくないですね。
伝えましょう。自分のできる方法で、そして自分の言葉で。
あなたを救う箱舟があることを。

その扉が開かれているうちに、伝える事ができるように、そして、イエス様によって救われるように、・・・お祈りしましょう。


結)洪水の日(終りの日)は、いつかわかりませんが、確実に近づいています。
そして、その日のために箱舟(救い)も用意されています。
それは神様自身によって用意されたものです。
扉が閉められる前に入りましょう。
まだ、入っていない人が扉が開かれているうちに・・・祈りましょう。

2009/06/07

09.6.7「 神様との約束 」

創世記6:13-22
:13そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。
:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。
:17 わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。
:18 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。
:19またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。
:20また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。
:21あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい。」
:22ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。


序)ノアの箱舟・・・
ノアの箱舟というと、どのような船を思い浮かべられるでしょうか。
実際のノアの箱舟はこんな形だったようです。(作った模型をみせて)
どうですか?千分の1です。細長いですよね。造ってみると、思ったより長細かったですね。
これで、本当に嵐の中で浮かんでいられたのかな?と思いますが、長細いかたちに意味があるのです。
この箱舟をよく調べると、色々なところに神様の愛の計画を見ることができます。
今朝は、ノアの箱舟を通して神様との約束を教えられていきたいと思います。


1.計画はいつも完全です。
:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。
:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。

さて、神様はノアにいいました。口語訳はこうです。

:14 あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。:15 その造り方は次のとおりである。すなわち箱舟の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトとし、:16 箱舟に屋根を造り、上へ一キュビトにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、一階と二階と三階のある箱舟を造りなさい。

さあ、これはとても興味深いところです。
みなさん、ノアの箱舟は特別な船です。どうしてですか?
それは、神様が材料を選んだ船だからです。そして、神様が設計されたからです。
世界で神様が設計された船は、このノアの箱舟だけですね。
だからこそ、この船には神様の知恵と恵みがつまっているのです。

まず、神様が選んだ材料を見てみましょう。

●木が必要ですね。その木はゴフェルの木(いとすぎの木)です。
いとすぎの木とはとても頑丈な木です。腐りにくく、家具や船にも使われています。
また、いとすぎの木からは、油をとることもできます。つまり水に強いのです。でも加工がしやすいところもあります。ノアが造りやすい材料を神様は選ばれました。

●そして、木だけだと水がしみ込んできて沈んでしまいます。
だから、それだけではなく、アスファルト(木のやに)を内側と外側に塗りました。アスファルトは木を守り、水がしみ込んでくるのを防ぎます。

●そして構造、小さな部屋がたくさんつくられました。それは、長細い箱舟を強くする支えになったでしょう。造りやすいように、四角の箱舟を神様は選ばれました。

そして、次が問題です。なぜこの大きさでなくてはならないのでしょうか?

長さ・・・300キュビト=約150m 
幅・・・・50キュビト=約25m
高さ・・・30キュビト=約15m

この船は大型の客船くらいの大きさがあります。その容量は、タイタニックに匹敵するらしいです。
船の設計はとても難しいそうです。短いと安定が悪くなります。あの漁船みたいな感じですね。
ちょっと風が吹いたら、ひっくり返るようにゆれてしまいます。
逆に長すぎれば、大波に乗ったとき真ん中から折れる危険があります。
高さが高すぎても安定が悪くなります。低すぎても具合が悪いですですね。
さあ、神様はどうされたのでしょうか?

NTTの元会長であった真藤さんは、NTTに入る前には造船会社の社長をしていました。
真藤さんは大型船の理想的な形を研究するように、研究チームに命じました。
その結果わかったことは、タンカーくらい大きさの大型船にとって最も高い安定性と強度を持つ形は、長さ・幅・高さの比率が30・5・3だ!ということでした。それ以来、造船の世界では、この比率は「真藤比」とか「黄金比」と呼ばれて、タンカー級の大型船の主流となっています。

この比率は、ノアの箱舟の比率と全く同じです。
ノアは、このようにして理想的な舟をつくることができました。
造船技術もない時代にです。今の時代最高の船をつくりあげてしまいました。
この船を設計したのが神様だからです。神様の計画されたものはいつも最高です。
それは今も同じです。

神様が私たちに与えられた計画はいつも理想的で最高のものであると信じます。
それを経験する方法は、ただ単純に神様が語られた言葉に従う、ということです。
ノアが船を作るとき、なぜこんなに長細いものを!といって自分の方法で船をつくったらならば、きっと嵐の中で、箱舟は沈没していたでしょう。

神様の方法がいつも最高なのです。



先週リンカーン大統領の話のなかで、大切なポイントがありました。
神の側に立つ、ということです。
自分の願っていることを守ってくださいと祈るのではなく、神の側に立てるように祈りたいものです。
なぜなら、神様の計画はいつも最高だからです。



2.救いは完全です。
:17 わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。:18 ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。

そして、箱舟はもう一つのことを教えています。それは、私たちの救いです。
私たちに与えられた救いの設計をされたのは誰でしょう?神様です。
救いの方法は誰が考えたものでもありません。神様です。
それは神様だけが救いを用意できるからです。そして救いは完全です。

ノアの命を救う箱舟には、外からの水や嵐からノアを守るために、木のやに・アスファルトが塗られました。

アスファルトとはレビ記17:11で使われている「あがない」と同じ意味の言葉がつかわれています。
レビ17:11 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。

もし、ノアが箱舟をつくって、アスファルトを塗らなければ、どうなるでしょう。
この船の構造が30:5:3の比率で作られた完全なものであっても、
きっと水がしみ込んできて死んでしまったでしょう。

でも、そこにはアスファルトがしっかりと塗られていました。
アスファルトは、私たちを守るために、救うためにイエス様が流された血潮です。
私たちの罪のためにイエス様が十字架で死んでくださった。
このあがないを通って箱舟に入るのです。そしてその箱舟の中はアスファルトで守られているのです。それは、ただ完全な計画で作られた建造物というだけではありません。

完全な救いがあるからです。

あなたに与えられた救いははじめから完全なのです。
初めて船を作るノアが、最高の船をつくりあげたように、今、私たちに与えられている救いは完全です。罪の許しも完全です。信じましょう!

時々、わるいことがあると、あの罪が原因かな?と思う事があるかもしれません。
でもそうではないのです。
みなさん、完全な計画を与える神様にできないことを知っていますか?
ヘブル8:12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
許した罪を思い出すことです。

:18 ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。
この約束は、ノアの時代だけではありません。
いまもっと大きな箱舟が用意されています。定員はありません。すべて信じる人です。
そして、私たちはノアなのではないでしょうか。

ひとりでも多くの人達がこのイエス様の血潮で守られた、素晴らしい箱舟の中に入ることができるように、祈りましょう。
来週の結婚式も、少しでも伝道の機会になるようにとお二人は祈っておられます。私達も祈ります。
しかし、決して私達が救うのではありません。また、無理矢理船に押し込む事もできません。
救いの船に導くのが、案内するのが私たちの使命です。
入るかどうかは、その人とイエス様が決めることです。
そして、救われるのはイエス様です。

完全な計画をされているイエス様、完全な救いを用意してくださったイエス様。
このイエス様に期待して、祈りましょう。

2009/06/06

09.5.31「神様と共に歩む」

創世記6:5-12
: 5主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
: 6それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
: 7そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
: 8しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
: 9これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
:10ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
:11地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
:12神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。


序.ノアの時代は・・・
創世記6:5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
ノアの時代は、悪がはびこり、人がいつも悪い事ばかり思う時代であったようです。
それは神様から離れてしまった人の心の中をあらわしています。
そんな時代の中でノアは神様の前に恵みを得た者であったのです。
それは今、私たちが置かれている状況とよくにています。
それくらいいいじゃないか!罪に対してとても甘い時代です。そんなこともしないの?
私たちの身のまわりには、誘惑がたくさんあります。
その中で、正しい道を歩むというのは、本当に勇気のいることです。
しかしそれは希望の光です。
イエス様はそんなノアを用いて素晴らしい希望の光とされました。
それは、ノアがいなければ人は滅びてしまったからです。
ノアがいなければ今のあなたはいません。そして、ノアの子孫からイエス様が生まれたからです。
そして、あなたも希望の光だということを知らせるためです。

1.ノアは正しく歩んだ人です。
: 9これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

・ノアは正しく、かつ全き人でした。さて、みなさん。どう思われますか?
それは私たちにとってあまりにかけ離れた人のようです。
時々思います。聖書に出てくる人は特別な人だ・・・と。
でもそんなことはないのです。
私たちと同じ人間です。
ダビデもモーセもエリヤも同じ人間です。

モーセもあるときには、感情に任せて行動してしまったときがありました。
ダビデもそうです。
また、そのことで悩み苦しんだのです。
なぜなら、私達と同じ人間だからです。

このノアの個所を読んだらきっと思うでしょう。
私はノアのように完全な人ではないです。欠点があるし、罪の誘惑にも弱いのです。

それでいいのです。神様はあなたが神様のようになることを願っておられるのではないからです。
もっと素敵なことを願っておられます。そのことを知るために、ノアという人物に注目してみましょう。

・ノアはどのような人だったのでしょうか?

①神様に従う人だった。
創世記 6:22 ノアはすべて神の命じられたようにした。
神様はノアにいわれました。今から洪水がおこるから、箱舟をつくりなさい。
それは、あまりにも信じがたい言葉でした。そして実行するのが難しいことです。

ばかばかしい!やってられない。まわりの人達からはなんと思われるだろう?
ノア!おまえとうとう頭に来たな!いや~宗教にはまるとこうなるんだな~、とまわりの人々からうわさされていたでしょう。
ノアの親戚はとめたかも知れません。お願いだから止めておくれ。
信じるのは良いけれどそこまですることはないだろう・・・・

皆さん、何かに似ていませんか?そうです。今の私たちとそっくりですよね。
「日曜日に教会に行く?で聖書の話を聞いている?ちょっと大丈夫?」
「信じるのは良いけれど、毎週教会に行くのは・・・・・」なんていうのもありますね。

なぜ毎週日曜日に教会に行くのでしょう?
行かないと、牧師から電話がかかってくるから?(かけませんが^^;)
私たちは神様の言葉にしたがっています。
創世記20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。という御言があるからです。


②神様が正しいと認めた人だった。
創世記 7:1 主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。

そしてノアは神様が正しいと認めた人でした。
これは大切なことです。誰が正しい人と決めるのでしょう?そう、イエス様です。
ひょっとしたらノアは「私なんて、罪深いものだ」となげいていたかもしれません。
私達はイエス様を知った時、聖書の話を聞いた時、罪というものがはっきりとわかります。
私は正しくない。私は罪人だ。
その自覚は素晴らしい気付きでもあります。
でも、だからといって、私は価値のない人間だ、と思うなら、そういう思いは、私たちの心を傷つけているのです。

でも実際は、そんなことないのです。
なぜなら、イエス様が私たちの罪のために、十字架で死んでくださったからです。
あなたの罪は許されています。イエス様は一つの罪のために死なれたのではありません。
私たちのすべての罪、今まで犯してきた罪、これから犯すかもしれない罪のために十字架で死んでくださいました。

1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

自分では、自分が正しい人だとは言えないでしょう。人も言ってくれないかもしれません。
いや、実際、罪人であるのです。
でも、イエス様の十字架によって、私達は、神様が正しい人と認めてくださるのです。


③正しく歩もうと決心した心を持つ人だった
創世記 9:20~21 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

ノアはこういうこともある人だったんです。
ノアは裸になって寝ていたのです。
しまった!と思った時はもう遅い・・・・・でも神様は「わかってる、わかってる。でもあなたは正しい人ですよ。」といわれます。どうして?
ノアは、いつも神様の言葉に従う、と決心するからです。

・神様の前に正しいと認められること・・・それは、正しく歩もうと決心した心を持つ人です。

それはどんな人にも与えられるチャンスです。

あなたが神様の言葉に従おう、そう心に決心するなら、あなたは希望の光です。



2.ノアは神と共に歩みました。

6:9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。(新共同約)
Noah had no faults and was the only good man of his time. He lived in fellowship with God.

・現代訳の英語では、“神と共に歩んだ”は“神様と親しく交わっていた”と訳されています。神と共に歩むとは、神様と親しく交わることです。

朝起きたとき、「イエス様おはようございます!」
「イエス様すみません!」悩む時「どうしたらいいでしょう?」
1日の中で、こういう言葉、思いは何回くらい出てくるでしょう?
1度でも出てくるなら、あなたは神と共に歩んでいるのです。
だっておかしいでしょう!「イエス様おはようございます!」なんていうのは。
日本の宗教ならそんなフレンドリーに挨拶できないですよね。
あなたは神様と親しく交わっているのです。

・そして神と共に歩む時、大切なことがあります。それは神様のそばを歩むということです。

リンカーンが南北戦争の時、作戦会議をしていました。そんな時、ひとりの参謀が言いました。
「いまこそ神が共におられなくてはなりません!」
しかし、リンカーンはいいました。
「そうではない。私たちが神の側を歩いているかどうかが重要だ」

私たちが祈り、願う時・・・大切なことは、いま自分の立っている場所が神様の側にたっているのかどうか?ということです。

あなたが神様と親しく交わり、そしていつも自分のたっている場所を確認しているなら、あなたは希望の光となります。



3.ノアの子孫は

ノアの子孫から誰が生まれたのでしょうか?

ノアは、罪の時代の中で神様に従うことを選択し続けました。
ある時は、そんなことをしていて何になる?といわれたこともあるでしょう。
ののしられたこともあるでしょう。
でも今、世界中の人はノアに感謝しなくてはなりません。
なぜなら、私たちはノアの子孫だからです。

ノアの個所で面白いのは、ノアだけ良い人だった、とあります。
では、ノアだけ洪水から助かったのでしょうか?
そうではないですね。ノアの家族も一緒に助けられています。

あなたがイエス様を信じ、イエス様の言葉に従おうと決心するなら、そして、神様と共に歩もうと決心するなら、あなたの家族も守られる、ということです。
「主、イエスキリストを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」
特に、子供達・・・
あなたが守られているのは、お父さん、お母さんがイエス様を信じ、神様と共に歩んでいるからです。
そして、あなたもその信仰を受けつがなくてはなりません。
リレーのバトンのように・・あなたも希望の光として輝きましょう。