2009/11/22

09.11.22「その名はなんというのですか」

出エジプト3:13-15
:13 モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」
:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」
:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。

序)名前の力
名前には力があります。
モーセは誰の名によってつかわされたのか?ということに関心がありました。
誰につかわされたのか?ということはとても大切なことです。
モーセには自信がなかったのです。
自分がエジプト王のところにいってイスラエルを救い出すなんて。
みんなはなんて言うだろう?逃げてきたわけですから・・・
でもつかわされた方の名前を聞くならば、それで、モーセは確信を持つことが出来ます。
そしてイスラエルの人達がおまえは何者だ!といっても神の名によってつかわされているのです、というならば、きっとイスラエルの人々も納得すると思ったからです。
だからモーセは名を聞きたかったのです。
でも神様はモーセになんと答えられたでしょうか?


1.私は存在している。

私はある(新改訳)
私は有って有る者(口語訳)

それは神様の性質を表しています。

3:13 モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」
:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」

神様はモーセに答えられました。「わたしはある」
モーセはきっと「は?」と思ったでしょう。いえ私は名前を聞きたかったのですが・・
私はある?

この言葉は神様の名前ではありません。
それは性質をあらわす言葉です。
神様というお方がどのようなお方なのか?ということをあらわしています。
この時、モーセにとって大切なことは、みんなが納得する神の名ではありません。
その名を持つ方がどれほど偉大な方か?ということを知る、ということです。

“私はある”とは、どのような方であることをあらわしているのでしょうか?
原語の直訳は、「私は存在している」とです。
この言葉にはたくさんの神様の偉大さが凝縮されているのです。
神様の素晴らしさは言葉では説明できないのです。だから言われました。
“私はある”


①神様は、それ自体で存在しています。

あなたはどうしてここにいるのですか?
お母さんから生まれたからここにいるのです。
そのお母さんは?お母さんのお母さんが・・またお母さんが・・・

このギターはどうして存在しているのですか?
はい、買ったからです。その前はヤ○ハ楽器が製造したからです。

私達のまわりにあるすべてのものは、何かから生まれてきているのです。
でも、神様はそうではありません。何かから生まれてきたのではありません。
神様は神様として存在しているのです。

・創世記1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
はじめに神は・・・聖書のその前に何も書かれていませんね。
はじめに神は・・・からスタートしています。
つまりこの世界に何も存在していなかった時、神様はすでにおられた、ということをあらわしているのです。
すべてのはじまりは神様です。私はある、それは神様の偉大さを表しています。


②無から有を生み出す力があります。

ということは、すべてのものを神様が造られたのだ、ということです。
すべてのものは神様から造られ生まれてきたのです。
何もなかったところから、神様はこの大地や星や、太陽、生き物を造られたのです。
つまり、何もないところから、新しいものを生み出す力をもっておられる方だ、ということです。


例えば太陽を直径50センチにすると一番近い水星はどのくらい離れるかわかりますか?
約20メートルです。
金星は約39メートル。
地球は約53メートル。
火星は約82メートル。
木星は約279メートル。
土星は約513メートル。
天王星は約1032メートル。
海王星は約1618メートル。
冥王星は約2122メートル。
地球を1mmと仮定すると10メートル先に10センチの太陽があるのと同じです。
我々が見る夜空の星は金星などの9つの惑星等一部をのぞいて、みんなこの太陽クラスなのです。
それも私たち銀河系内の範囲の一部しか肉眼では見えません。
しかも我が銀河系内だけでもこの太陽(恒星)が1000億個以上もあるそうです。

そしてそれだけではありません。1光年は3482キロ先です。でもまだ星はありません。
一番近い星でも二万キロ以上はなれないとないのです。それが無限に広がっています。
これ全部神様がつくられたのです。
そのスケールの大きさに驚きます。
すべてを造られたお方です。

これは“私はある”というお方です。

・イザヤ43:19 見よ、わたしは新しい事をなす。
やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。

そう考えると、荒野に道を、砂漠に川を流れさせることくらい、どうってことないですよね。
そう、この有って有る者はあなたの生涯にも働かれるのです。
そして、何もないところからでも、素晴らしい創造をされる方です。
絶望のふちからでも、最高の希望を与えてくださる方です。


③完全です。
愛において・力において・霊において・・・

マタイ5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
私はあるという方、すべてのはじまりである方は完全な方です。
愛において・・・このすべてがはじまる前から存在しておられた方、そして全てを作り出した方、イエス様はあなたのために十字架にかかって死なれたのです。
ただ、身代わりとなる、ということだけのために。
すべての力、能力、権威を捨てて、あなたのために、私達のために十字架にかかり、死んでくださったのです。
イエス様の愛は完全な愛です。
すべてを満たすことのできる愛です。
そして力において、あなたを覆い、助け、満たすことの出来る方です。



2.本当の名は“イエス”です。

神様は「私はある」、その方がいかに素晴らしい方であるのか?ということをモーセに伝えたかったのです。
その名前が何であっても、その名前を持つ方がいかに素晴らしい方か、ということを知らなければどうしてエジプトにいくことができるでしょう。
仮に行くことが出来たとしても、すぐに挫折して帰ってきてしまうでしょう。
”私はある”、それは偉大なお方です。

では、なぜモーセに神の名が告げられなかったのでしょうか?
それは後にこられる方によって明らかにされました。。

使徒4:12 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

神の名、それはイエスです。
神の名はエホバでもヤハウエでもありません。それは単なる呼び名です。
「イエス」それが神の名前です。

わたしはある、この名のもう一つの呼び名がありました。

3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。

“あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が”
これはずっと続いていくのです。
そしてあなたの神という意味があるのです。
そして永遠に私の呼び名である、といわれています。
そうです。イエス様は、あなたの神です。そしてあなたを救う神です。
その名は永遠に変わることがありません。永遠にあなたの救い主なのです。

そして、そのイエス様の名にこそ力があります。
だからイエスの名によって祈ります。宣言します。告白します。

私達を呼ばれ、救われ、用いられる神は、こんなにも素晴らしい方です。
そしてその力ある名を私達は知っています。
このイエス様を知る人は幸いです。