2009/10/04

09.10.4「天にある喜び」

ルカ 15:-1-10
:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

序)喜び
みなさんは、最近いつどんなことで喜ばれたでしょうか。
9月に小学校の運動会がありました。
縦割りで5色の色別対抗で点数を競う形でもたれるのですが、毎年、子供たちはその点数に一喜一憂します。
途中経過の点数が表示されると、一位のチームは「わぁー!」と喜びの声が上がります。
先日、2016年の五輪開催地が決定しました。ブラジルのリオデジャネイロに決定しましたが、決まった瞬間、リオの人々、いやブラジルの人々からは、喜びが沸きあがりました。

人々はいろんなことで、喜ぶことがあるのですが、
今日の聖書の箇所においては、天において神様が御使いらと共におおいに喜ばれることが書いてあります。
共に見ていきましょう。


1.一人に注目される神

羊飼いは100匹の羊を飼っていました。ところが、その内の1匹がいなくなってしまったのです。その時、羊飼いは、残りの99匹を荒野に残して、いなくなった1匹の羊を見つかるまで探したのです。
100匹もいるんだから、1匹くらい仕方ないといって見殺しにすることはしませんでした。
そして、その1匹が見つかったときに、羊飼いはすごく喜んだのです。

また、10枚の銀貨を持っていた女の人が1枚をなくしたら、家中を掃除して見つかるまで探したのです。そして見つかったらこれまたすごく喜んだのです。

この喩えを通して、イエス様は、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、大いなる喜びが天にあることを語られました。:7、:10
その喜びは、99人の正しい人にまさる喜び、また、神の御使いたちに喜びが沸き起こると表現されているように、とても大いなる喜びが天にあることがわかります。

あなたは、罪人でしょうか。
だとすれば、神様は危険にさらされている一匹の羊を探すように、あなたを取り戻そうと探しておられます。
あなたは、既に神様に見つけられた存在、罪許された者となっているでしょうか。
だとすれば、あなたが悔い改めたときに、天においては、私たちが想像している以上の大いなる喜びがあったのです。そして、今度は、イエス様の友として、失われている羊を一緒に探し、また1匹が見つかったときに一緒に喜ぶ者へと変えてくださっているのです。
なんと素晴らしい事でしょう。

ここで、もう一つのことをお話します。
最初のたとえ話では、100の内の1が見つかったときの喜びです。
2番目では、10の内の1が見つかったときの喜びです。
そして、11節以降にもう一つのたとえ話があります。有名な放蕩息子の話しです。
ここでは、2人兄弟のうちの弟が家から出て行ってしまって、後に戻ってくる話しですから、
2の内の1が戻ってきたときの喜びです。

一人の罪人が悔い改めるときに、天において大いなる喜びがあるのですが、それは、100分の1でも、10分の1でも、2分の1でも同じなのです。
あなた以外がどれだけ多くても少なくても関係ないのです。
「あなた」が悔い改めるときに、「あなた」の為に天において大いなる喜びが沸き起こるのです。

神様はたくさんいる中のあなたに注目されているのではなく、あなたがどんな中にあっても、どんな環境にあっても、どんな集団にいたとしても関係ないのです。その全ての状況の中で、あなた個人に注目してくださっているのです。
神様はあなただけに注目してくださっているのです。

一人の悔い改めが天において、どんなに大きな喜びとなっているのかがわかりましたか。
あなたが悔い改めて救われたときもそうですし、これからまた、一人が悔い改めて救われるときに、そのたびに天において大いなる喜びが沸き起こるのです。
そして、私たちは、その喜びの中にいることができるのです。イエス様の同労者となるなら。。




2.失われていたものの回復

今日は読まなかった11節以降の放蕩息子の話しも含めて、この3つのたとえ話の共通点は、
失われていたもの(羊、銀貨、息子)が見つかり、戻ってきたことをとても喜んだ、ということです。
失われていたものが回復したときに、大いに喜んだのです。

ルカ 19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。

失われた人、つまり、悔い改めを必要としている、救いを必要としている罪人を捜す為に、そして救うためにイエス様は来られました。
そして、今もイエス様はそのために来られています。

私たちは、そのイエス様によって捜し出されて、救われたのではないでしょうか。
そして、今もまだ失われた人がたくさんいるのです。
その人々が回復するために、救われるために、イエス様は、必死に捜しておられるのです。
私たちは、見つけ出していただいたものとして、イエス様と共に喜ぶ事ができる特権に預かっているものとして、イエス様と共に捜すものになりたいですね。


結)
イエス様は、あなたを捜しておられます。必死に捜索しておられるのです。悔い改めが必要だからです。
あなたがイエス様の前に出るなら、イエス様はあなたの元へかけよって抱き寄せてくださいます。
そして、あなたを救ってくださるのです。
そのために、イエス様は十字架に架かられました。あなたの罪を身代わりに負って。。
あなたは、イエス様の元へ行き、イエス様を救い主と信じて告白するなら、救われるのです。
「あなた」という存在を本当の意味で回復させてくださるのです。
今日、イエス様を罪からの救い主、あなたの主として信じて祈りませんか。

イエス様は、あなたを救うために必死に捜索されました。そして見つけ出され、悔い改めて救われ、回復させられた人なのです。その時、天では大いなる喜びがわきおこったのです。
そして今もイエス様は悔い改めが必要な人を捜しておられます。
あなたは、自分が見つけてもらい救われたからそれで終りでしょうか。
イエス様と共に悔い改めが必要な人に、イエス様のもとへ導く事ができるのではないでしょうか。
イエス様が捜しておられる事を伝える事ができるのではないでしょうか。
そして、一人の人がイエス様によって、救われ、回復されたなら、天における喜びを地上で一緒に喜ぶことができるのです。
きっと、あなたにできることがあるはずです。それは、あなたが今イエス様によって既に救われて、回復してもらっているからです。

今日、あなたの一歩を踏み出しましょう。