2009/10/11

09.10.11「ピンチは、救いのチャンス」

出エジプト 1:8-2:10(1:22-2:9)

:8 さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。
:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」
:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。
:13 それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、
:14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。
:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
:16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
:17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。
:18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」
:19 助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
:20 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。
:21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。
:22 また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」
2:1 さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。
:2 女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。
:3 しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。
:4 その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、
:5 パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。
:6 それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです。」と言った。
:7 そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」
:8 パロの娘が「そうしておくれ。」と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。
:9 パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
:10 その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。


序)ピンチは避けられない?
皆さんの人生では、ピンチに直面したことは今までに何度あったでしょうか?
ピンチなど、一度も経験したことのない方っておられますか?
ぼくは今までの人生の中で何度も「ピンチ!」と思ったことを経験してきました。

小学校の5年くらいのときでしょうか。
弟に向かって竹刀で、寸止めをしていたら、寸前で止まらず本当に顔をたたいてしまったときは、
「しまった!ピンチ!」と思いましたがもう遅く、えらい怒られました。

16歳で原付免許を取ったので、無免許の友達とバイクを乗っていて、パトカーが来たときも
「ピンチ!」で、、、実際つかまっちゃいました。

また、17歳のころ、ズボンのポケットにタバコを持ったまま、デパートの本屋で立ち読みしていたところ、それを見つけた補導員に声をかけられたとき
「ピンチ!」で、、、またまたつかまりました。

同じころ、M鶴のスーパーで万引きしたときに、声をかけられたときも
「ピンチ!」で、、、捕まってえらい迷惑をかけたこともあります。

また、22,3のころでしょうか。
80kmくらいで走っていて、赤い旗で誘導されたときも
「ピンチ!」で、、、つかまってしまい、もう少しで免停になるところでした。

いろんなピンチを経験してきました・・・。


あ、でも、これは、ある意味自業自得ですよね(^^;;
悪いことをしていたから、ピンチがやってくるわけですから。。。
ということは、こういうピンチは避けられますね。(^^;


でも、実際の私たちの生活、人生の中では、避けられないようなピンチに遭うこともありえます。


今日読んでいただいた箇所は、モーセの誕生の時の話しです。
エジプトに住んでいたイスラエルの民は、どんどん人数が増えて、エジプトにとって脅威となりつつありました。
そこで、ヘブル人の助産婦に命じて、男の子なら殺すように命じました。
しかし、助産婦は神を恐れて、それをしませんでした。
そこで、今度は、男の子はナイル川に流すように命じました。
そのときの出来事がお読みいただいた箇所で、この子が2:10でわかるように、
モーセです。

モーセは、ある意味、ピンチの連続の人生だったといえます。
でも、神様の恵みの中で、今日まで語り継がれるような信仰者として人生をまっとうしました。
ここから、教えられて、私たちの人生の糧となれば、幸いです。


ここでの、モーセのピンチを二つ見ます。

1.ヘブルの男の子として生まれた。

ヘブルの男の子として生まれたということは、ナイル川に流される運命に生まれてきたということです。
先ほどの私のピンチとは大違いで、モーセは何も悪いことはしていません。
神様から命を受けて、この世に生まれてきたのです。
しかし、その生まれたのが、ヘブル人として、そして、男の子として生まれてきたというだけで、ナイル川に流されてしまうという運命でした。

私たちが生まれてきたときに、親を選ぶことはできません。
自分の子供が生まれてきたときに、本当に思いました。
この子は、ぼくを選んで生まれてきたのではないんだ、と。
もっとお金持ちの家に生まれてきたかったと思うときもあるかもしれない。
もっとかっこいいパパだったら、もっと若かったら、、と言われても、どうしようもありません。
その子にとっては、受け入れるしか仕方のないものですね。

差別というのは、そこに生まれてきたからという出身だけで差別したり、
肌の色がどうだから、ということで差別したり、
その人の親がどうだからということで差別したり、
その人にとっては、どうしようもできなかったことが理由です。

ですから、本当にこれは正しくないことだと言えますね。

モーセも自分ではどうしようもできない中、
ヘブル人の 男の子として 生まれました。

まさに、「ピンチ!」です。

でも、このとき、両親は、モーセを何とかしようと3ヶ月の間隠して育てていました。
ここに両親の愛があって、ピンチをまずは3ヶ月クリアすることができました。

しかし、3ヶ月にもなると隠し切れなくなってきました。
ここで、モーセにとって次のピンチがやってきます。

両親は祈るような思いで、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いたのです。
かごが沈んでしまわないように、水が浸入しないようにして、簡単に流されないように、岸の葦の茂みの中に置いたのです。
そして、モーセの姉がそれを遠くから見ていました。


それでも、次のピンチがやってきました。

2.パロの娘に見つかった。

パロの娘に見つかり、「これはきっとヘブルの子供だ」とばれてしまうのです。
パロが命令したのですから、そのままナイル川の流れの急なほうへ流すこともできたでしょう。
いや、そうされてしまっても仕方のない状況です。
いわば、敵に見つかったわけですから。。

まさに「ピンチ!」です。

しかし、神様の介入でしょう。
パロの娘は、モーセを見て、あわれに思ったのです。
そして、そこに絶妙のタイミングで、モーセの姉が登場して、
「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」
といって、うばとして母親を連れてきたのです。

パロの娘は、
「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」といったのです。

モーセは実母に育てられて、その上、パロの娘から賃金まで払ってもらったのです。

ピンチでしたが、ここでも、敵の心さえ動かして、救われたのです。


結)神は救い出してくださる。

これらのピンチは、モーセにとっては、自分ではどうしようもできないことでした。
でも、その全てのピンチ、逆境から救われたのです。
ここには、両親の愛、家族の愛、もあったでしょう。
隠すために周囲の協力もあったことでしょう。
パロの娘のあわれに思う心もあったでしょう。

しかし、一番大きなことは、その全てのピンチの中から、神様が救い出してくださるということです。

両親は、モーセを隠した3ヶ月は本当に大変だったでしょう。
もし、見つかったら親子共々殺されてしまうかも知れません。
でも、神様が守り、愛を注ぎ、これをさせてくださいました。

また、パロの娘に見つかったときも、パロの娘にあわれに思う心を神様が与えられたのだと思うのです。
そこに、小さい子供をかわいく愛しく思う心があったからこそ、救われたのです。

そこに神の介入があったとしか思えないのです。

私たちの人生の中で、自分ではどうしようもできないことでピンチに立っている状態になることもあるかもしれません。
しかし、神を信頼するとき、神様はどんなピンチや逆境の中でも、救い出してくださるお方なのです。

いじめ苦、生活苦、いろんな苦しみ、ピンチや逆境で苦しむ人々がおられます。
でも、その人々に伝えたい。

「神様は、どんなピンチや逆境でも、救い出す力のある方です。」

でも、その神様を知り、この神様に出会い、この神様とともに歩むことができないなら、
この「救い」も受け取ることができないのです。

是非、出会っていただきたいこの神様は、
2000年前にイエスキリストとして、地上にお生まれになり、
罪のない生活、つまり神様の言葉を守り、神の御心にかなった歩みをされ、
地上の生涯の最後に、十字架に架かられ、
私たちの罪の身代わりとなって命を捨ててくださったのです。
これは、私たちへの愛なくしては、決して成し遂げられなかったことです。

このイエスキリストを迎え入れるなら、あなたは「救い」を受け取れるのです。
そして、神とともに歩む新しい人生がスタートします。

このお方を心に迎えて、命がけで用意された「救い」を自分のものとして下さい。