09.5.31「神様と共に歩む」
創世記6:5-12
: 5主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
: 6それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
: 7そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
: 8しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
: 9これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
:10ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
:11地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
:12神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
序.ノアの時代は・・・
創世記6:5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
ノアの時代は、悪がはびこり、人がいつも悪い事ばかり思う時代であったようです。
それは神様から離れてしまった人の心の中をあらわしています。
そんな時代の中でノアは神様の前に恵みを得た者であったのです。
それは今、私たちが置かれている状況とよくにています。
それくらいいいじゃないか!罪に対してとても甘い時代です。そんなこともしないの?
私たちの身のまわりには、誘惑がたくさんあります。
その中で、正しい道を歩むというのは、本当に勇気のいることです。
しかしそれは希望の光です。
イエス様はそんなノアを用いて素晴らしい希望の光とされました。
それは、ノアがいなければ人は滅びてしまったからです。
ノアがいなければ今のあなたはいません。そして、ノアの子孫からイエス様が生まれたからです。
そして、あなたも希望の光だということを知らせるためです。
1.ノアは正しく歩んだ人です。
: 9これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
・ノアは正しく、かつ全き人でした。さて、みなさん。どう思われますか?
それは私たちにとってあまりにかけ離れた人のようです。
時々思います。聖書に出てくる人は特別な人だ・・・と。
でもそんなことはないのです。
私たちと同じ人間です。
ダビデもモーセもエリヤも同じ人間です。
モーセもあるときには、感情に任せて行動してしまったときがありました。
ダビデもそうです。
また、そのことで悩み苦しんだのです。
なぜなら、私達と同じ人間だからです。
このノアの個所を読んだらきっと思うでしょう。
私はノアのように完全な人ではないです。欠点があるし、罪の誘惑にも弱いのです。
それでいいのです。神様はあなたが神様のようになることを願っておられるのではないからです。
もっと素敵なことを願っておられます。そのことを知るために、ノアという人物に注目してみましょう。
・ノアはどのような人だったのでしょうか?
①神様に従う人だった。
創世記 6:22 ノアはすべて神の命じられたようにした。
神様はノアにいわれました。今から洪水がおこるから、箱舟をつくりなさい。
それは、あまりにも信じがたい言葉でした。そして実行するのが難しいことです。
ばかばかしい!やってられない。まわりの人達からはなんと思われるだろう?
ノア!おまえとうとう頭に来たな!いや~宗教にはまるとこうなるんだな~、とまわりの人々からうわさされていたでしょう。
ノアの親戚はとめたかも知れません。お願いだから止めておくれ。
信じるのは良いけれどそこまですることはないだろう・・・・
皆さん、何かに似ていませんか?そうです。今の私たちとそっくりですよね。
「日曜日に教会に行く?で聖書の話を聞いている?ちょっと大丈夫?」
「信じるのは良いけれど、毎週教会に行くのは・・・・・」なんていうのもありますね。
なぜ毎週日曜日に教会に行くのでしょう?
行かないと、牧師から電話がかかってくるから?(かけませんが^^;)
私たちは神様の言葉にしたがっています。
創世記20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。という御言があるからです。
②神様が正しいと認めた人だった。
創世記 7:1 主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。
そしてノアは神様が正しいと認めた人でした。
これは大切なことです。誰が正しい人と決めるのでしょう?そう、イエス様です。
ひょっとしたらノアは「私なんて、罪深いものだ」となげいていたかもしれません。
私達はイエス様を知った時、聖書の話を聞いた時、罪というものがはっきりとわかります。
私は正しくない。私は罪人だ。
その自覚は素晴らしい気付きでもあります。
でも、だからといって、私は価値のない人間だ、と思うなら、そういう思いは、私たちの心を傷つけているのです。
でも実際は、そんなことないのです。
なぜなら、イエス様が私たちの罪のために、十字架で死んでくださったからです。
あなたの罪は許されています。イエス様は一つの罪のために死なれたのではありません。
私たちのすべての罪、今まで犯してきた罪、これから犯すかもしれない罪のために十字架で死んでくださいました。
1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
自分では、自分が正しい人だとは言えないでしょう。人も言ってくれないかもしれません。
いや、実際、罪人であるのです。
でも、イエス様の十字架によって、私達は、神様が正しい人と認めてくださるのです。
③正しく歩もうと決心した心を持つ人だった
創世記 9:20~21 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
ノアはこういうこともある人だったんです。
ノアは裸になって寝ていたのです。
しまった!と思った時はもう遅い・・・・・でも神様は「わかってる、わかってる。でもあなたは正しい人ですよ。」といわれます。どうして?
ノアは、いつも神様の言葉に従う、と決心するからです。
・神様の前に正しいと認められること・・・それは、正しく歩もうと決心した心を持つ人です。
それはどんな人にも与えられるチャンスです。
あなたが神様の言葉に従おう、そう心に決心するなら、あなたは希望の光です。
2.ノアは神と共に歩みました。
6:9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。(新共同約)
Noah had no faults and was the only good man of his time. He lived in fellowship with God.
・現代訳の英語では、“神と共に歩んだ”は“神様と親しく交わっていた”と訳されています。神と共に歩むとは、神様と親しく交わることです。
朝起きたとき、「イエス様おはようございます!」
「イエス様すみません!」悩む時「どうしたらいいでしょう?」
1日の中で、こういう言葉、思いは何回くらい出てくるでしょう?
1度でも出てくるなら、あなたは神と共に歩んでいるのです。
だっておかしいでしょう!「イエス様おはようございます!」なんていうのは。
日本の宗教ならそんなフレンドリーに挨拶できないですよね。
あなたは神様と親しく交わっているのです。
・そして神と共に歩む時、大切なことがあります。それは神様のそばを歩むということです。
リンカーンが南北戦争の時、作戦会議をしていました。そんな時、ひとりの参謀が言いました。
「いまこそ神が共におられなくてはなりません!」
しかし、リンカーンはいいました。
「そうではない。私たちが神の側を歩いているかどうかが重要だ」
私たちが祈り、願う時・・・大切なことは、いま自分の立っている場所が神様の側にたっているのかどうか?ということです。
あなたが神様と親しく交わり、そしていつも自分のたっている場所を確認しているなら、あなたは希望の光となります。
3.ノアの子孫は
ノアの子孫から誰が生まれたのでしょうか?
ノアは、罪の時代の中で神様に従うことを選択し続けました。
ある時は、そんなことをしていて何になる?といわれたこともあるでしょう。
ののしられたこともあるでしょう。
でも今、世界中の人はノアに感謝しなくてはなりません。
なぜなら、私たちはノアの子孫だからです。
ノアの個所で面白いのは、ノアだけ良い人だった、とあります。
では、ノアだけ洪水から助かったのでしょうか?
そうではないですね。ノアの家族も一緒に助けられています。
あなたがイエス様を信じ、イエス様の言葉に従おうと決心するなら、そして、神様と共に歩もうと決心するなら、あなたの家族も守られる、ということです。
「主、イエスキリストを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」
特に、子供達・・・
あなたが守られているのは、お父さん、お母さんがイエス様を信じ、神様と共に歩んでいるからです。
そして、あなたもその信仰を受けつがなくてはなりません。
リレーのバトンのように・・あなたも希望の光として輝きましょう。
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