09.3.1「正しい判断をするために」
マルコ15:6-15
:6 ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。
:7 たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢にはいっていた。
:8 それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。
:9 そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言った。
:10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。
:11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。
:12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」と言った。
:13 すると彼らはまたも「十字架につけろ。」と叫んだ。
:14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫んだ。
:15 それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
序)イエス様の十字架刑が決まった。
まさに、イエス様が十字架の刑に決まった瞬間の出来事がかかれてあります。
イエス様が十字架にかかることは、私たちが救われるためにはなくてはならないことでした。
これはまた預言の成就でもありました。
でも、イエス様は罪に定められるような方だったのか、罪人だったのか、、、
だから、十字架の刑に決まったのか、というと、それは違います。
人々は間違った判断をしたのです。
つまり、罪人ではない人を罪人とし、罪のないかたに罪を定めたのです。
なぜ、そのような間違った判断を下してしまったのでしょう。
そのことは、今日読んだ箇所でも見ることができます。
見ていきましょう。
1.扇動された。:11
祭司長たちは群集を扇動しました。
人々は、上に立つような人や、策を持った人に扇動されて、間違った判断をしてしまうことがわかります。
もう3年くらい前になるでしょうか。ア○リカがイラ○戦争を起こしました。
911テロにより、ア○リカはテロにより、その脅威にさらされた。
だから世界中のテロの脅威を撲滅するのだ。とか、イラ○が大量破壊兵器をもっているから、とかいって、イラ○を攻撃しました。
余談になりますが、、、
911テロそのものが自作自演で、世界をそのように導こうとしている人たちによって、仕組まれたものだと主張する人もいますし、実際、自作自演ではないかと思える不可解なことは多数あるようです。
これも上にたつ人によって、ア○リカという国が扇動されて、間違った判断をした例です。
ア○リカ人が全て悪いとはいいませんが、実際、このときに、ブ○シ○大統領の支持率は上がりました。
多くのア○リカ人は扇動されたのです。
私たちは、誰かに扇動されて信仰を持ち、信仰生活を送るのでしょうか?
きっかけを作ってくれる人もいるでしょう。
でも、扇動されて、その信仰を持ち、扇動されて、信仰生活を送ることは、避けなければなりません。
イエス様に影響を受け、御言葉の土台の上に自分をおき、神の御心を求めて歩まなければならないのです。
そこには、誰にも扇動されることがあってはならないのです。
もうひとつ、
2.多数の意見が通った。:14-15
扇動された人々は、ますます激しくイエス様を十字架につけるように要求しました。
それにより、ピラトは、群集の機嫌をとろうと思い、バラバを釈放し、イエス様を十字架につけるように引き渡したのです。
ここでは、多数の意見が通ったのですが、それは間違った判断でした。。
多数決というのは、民主主義の基本でしょう。
一見正しく見えるようですが、実はこれは、正しいか否かを判断する基準ではありません。
多数決は、多くの人がそれを望んでいるということであって、正しいかどうかの判断ではないのです。
北○○という国は、現在の元首を支持しています。
選挙をしても、投票率は限りなく100%に近く、その支持率もそうです。
でも、それが正しいかどうかというとそうではないのです。
多数決で多いから、それが正しいのではなく、そう望んでいる人が多数いるという状況なのです。
もし、多数決がただしいのでしたら、キリスト教は正しいとはいえませんね。
少なくとも日本では、そうでしょう。
ア○リカが起こしたイラ○戦争、これも多数決でいうなら、もしかしたら、賛成が多いのかも知れません。
でも、その判断が正しいかどうかの基準ではないのです。
同じように、多く人がある出来事に賛成しているからといって、それがいつも正しいとはいえません。
でも、この世の中では、多数の意見が通る世界なのです。
だから、注意も必要です。
天皇制についても、女性天皇を認めたほうがいいという世論も多くなってきています。
だからといって、それが正しいかどうかはわかりません。
世の中の人々がそう望んでいるに過ぎないのです。
これは、キリスト教の世界でもいえます。
エキュメニカル運動といって、キリスト教の教会が一致し、世界で一つの大きな教会となっていこうというような動きがあります。
しかし、実際は、カソリック等とも一致していこうということですが、
カソリックがプロテスタント化するのではなく、その逆になっていこうとしているという指摘もあります。
しかし、多数が賛成しているから、それが正しいかどうかというのは、また違うのです。
本当に注意しなければならないですね。
結)神の言葉は正しい。
私たちが正しいかどうかを判断することは難しいかも知れません。
でも、神の言葉は正しいし、神様は絶対に間違いのない方です。
神様が「白」といわれて、50億人の人が「黒」といい、
1対50億という票数であったとしても、
50億人が「黒」だと思っているが、正しいのは、「白」なのです。
私たちは、何を基準に信仰生活を送るのでしょうか。
神様が正しいと言われることを基準にしなければならないのです。
でないと、判断を間違うこともあるのです。
神の言葉にしっかりと立って、神様が正しいとされることを基準にしていきたいですね。
そのことは、私たちの能力でできることではないかもしれません。
でも、神様にそのことを絶えず求め、判断を間違うことがないように、祈り続け、求め続けるときに、ここで十字架にかかられたイエス様が私たちを救い、助け、導いてくださると信じます。
この神様だけを唯一正しい方として、見上げつつ、神の国とその義とのまず第一とする歩みを進める人は幸いです。
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