2009/01/04

09.1.4「神の国と神の義を求め続ける」

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします


・・というわけで、本年最初のメッセージです(^^)

マタイ6:25-34
:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

序)年始にあたって
私たちがまず第一に何を求め、求め続けていくべきなのかを見ていきます。
実は、12月の中頃から、この御言葉が2009年に示されているように感じていました。
そのようなこともあり、2009年に最初、ここから、教えられている事を共に見ていきたいと思います。


1.まず神の国と神の義を求めよ。

まず第一に、求めるもの、、それは、「神の国と神の義」です。

お読みいただいた箇所に書いてありますが、
空の鳥は、自分で種まきもせず、刈入れもしない、特に働くわけではないけれども、神様が養っておられる。
野のゆりはどうでしょう。働きもせず、紡ぎもしないが、育ち、綺麗に着飾っている。これも神様の業。
ましてや、私たちはそれよりもはるかに優れたものとして神に愛された存在として造られ、存在しているのなら、それ以上によくしてくださらないはずがないのです。
だから、飲食の事、着るものの事で、思い煩い、心配するなと言われているのです。

これは、私たちは働かなくてもいいと言っているわけではありません。
ここでは、優先順位を言っているのです。
飲み食いのことや着物の事を優先順位の一番にしていてはいけないのです。

日本は戦後すさまじい経済成長を遂げました。
これはすばらしい事のようにも思います。
でも、国が豊かになること、お金を稼ぐ事が優先されてきた結果、豊かな心が失われていったのではないかと言われています。
だからなのか、昭和30年代とかを扱った映画が流行ったりしました。
お金も大切だけれど、それよりも大切なものがある。それは、豊かな心であったり、家族愛であったり、人間関係だったり、、と目には見えにくいものとして表現されたりします。
どちらも大切だけれども、優先順位を間違えてはいけないということが言われているのです。

では、私たちは、お金儲けよりも豊かな心を優先すれば、それでいいのでしょうか。
優先順位は確かに、お金よりも心が高いでしょう。
でも、優先順位の最上位は、「神の国と神の義」であるべきです。

お金よりも、豊かな心や人々の愛情が優先されることで、そこには暖かいものが溢れて、何かそれが一番のように思ってしまうというのは、多くの人々の感覚かもしれません。
でも、それでは足りないのです。
今、日本人にどうしても足りないものがあるのです。
それが、「神の国と神の義」を第一とすることです。

私たちは、神の国と神の義を第一優先としていく必要があるのです。
毎週、礼拝をささげるのは、私たちが神の国と神の義を優先しているからです。
聖書を読むのは、私たちが神の国と神の義を優先しているからです。
祈るのは、私たちが神の国と神の義を優先しているからです。
互いに愛し合うのは、私たちが神の国と神の義を優先しているからです

神の国と神の義を優先したからといって、家族をないがしろにしたり、人間関係がどうでもいいというわけではありません。また、仕事をしなくていいとか、お金が不要だといっているわけではありません。それらは大切なものですが、優先順位を間違えてはいけないということです。

ストラップやリストバンド等にありますが、
英語の大文字4文字で、「WWJD」と書いてあるものがあります。
これは、英語の頭文字をとったもので、

What would Jesus do?
『イエス様ならどうされるか?』

という意味なのです。
「イエス様ならどうされるか」といつも意識できるように、リストバンドや携帯ストラップにつけておくようです。
私たちが生活しているいろんな場面で、「こんなときなら、イエス様ならどうされるだろうか。」と考えるきっかけになるようにとの願いが込められているのでしょう。
これも使い方によっては「神の国と神の義」を第一優先しようとしていることになるでしょう。

私たちは、神の国と神の義をまず第一に求め、求め続けるものでありたいと願います。

そのように、神の国と神の義を求め続けるときに、どうなるのでしょう。


2.それに加えて、全てのものは与えられる。

「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

神の国と神の義に加えて、全てのものは与えられます。

すばらしい約束です。
神様は、私たちに食べるもの、飲むもの、着るもの等が必要であることはご存知です。
今で言うなら、豊かな心や人との関わり、また、現実的には、お金が必要である事もご存知です。
だから、神の国と神の義を第一優先にして求めてくる人に対して、神の国と神の義を与え、それに加えて、ちゃんとそれらの必要なもの全てを与えてくださるのです。

神様は、私たちに必要なものをご存知です。
でも、その必要なものを求めるのではなく、まず第一に神の国と神の義を求めるときに、それらの必要なもの全てが神の国と神の義に加えて、与えられるのです。

結)神の国と神の義を求め続け、受け取り続ける
イエス様は、私たちにまず神の国と神の義を求める者、求め続ける者になることを願っておられます。それは、私たちのためです。
その時に、私たちが必要としている全てのことをご存知の神様は、私たちが求めて神の国と神の義を与え、それに加えて、全ての必要を満たしてくださるのです。

間違ってはいけないのは、神の国と神の義を求めるのは、その他の必要としているものを得るためではないのです。
そこを間違う人は、神の国と神の義を求めた結果、神の国と義が与えられて、それに加えて必要が与えられたときに、神の国と義を受け取らず、他のものだけを受け取ろうとします。
しかし、神を侮ってはいけません。神様はそれら全てをお見通しです。
その与えられたもの全ては、また取り上げられてしまうでしょう。
私たちは、神の国と神の義を求めたのです。そして、それが与えられたなら、感謝して受け取りましょう。なぜなら、それが何よりも素晴らしい優れたものだからです。それ以上のものはありません。
でも、それ以外も必要である事をご存知の神様は、それに加えてそのほかの必要も全て備えられるのです。

だから、「神の国と神の義を求める」ではなく、
「神の国と神の義を求め続ける」なのです。
これは同時に、神の国と神の義を受け取り続けることでもあるのです。

神の国と神の義を求め続ける者になり、受け取り続ける者は、幸いです。