2008/11/16

08.11.16「心を守り、主を信頼する」

詩篇 37:1-11
:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
:3 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。
:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
:9 悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

序)いつも神様の前に立つ
これは、ダビデの歌です。
ダビデはいつも神の前に立つ人でした。
神様に心を向けて歩む人でした。
そうじゃない時もあり、罪を犯したこともありましたが、その後、正直にその罪を神の前に告白し、神様に心を向け続けた人でした。
このダビデの歌が聖書に記されている。
つまり、神の言葉として私たちは受け取ることができるのです。

いつも心を神様に向けましょう。とお話ししています。
今日、この箇所から、神様の前に立つ人ダビデとその神の御言葉から、私たちもまた神の前にいつも立つものであるために教えられたいと思います。

この箇所で私たちが教えられることを二つみます。


1.心を守る。

腹を立てるな。
ねたみを起こすな。
怒ることをやめ、憤りを捨てよ。

これらを実行することは一見難しく思います。
これは何をいわんとしているのでしょうか。

エペソ 4:26-27
怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
悪魔に機会を与えないようにしなさい。

とあります。
腹が立ったり、怒ったり、憤ったりすることはあるでしょう。
でも、そのままでその日を終わらせてはいけないと新約で語られています。

ダビデも、怒ることも憤ることもあったでしょう。
でも、それらは何にもよいものを生み出さないことを知っていたのでしょう。
そのようなものに、自分の心を任せてはいけないことを教えられているのではないでしょうか。

:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
とあるように、悪を行うもの、不正を行うものに対して、そのような感情が引き出されることがあると思うのです。

みなさんも腹が立つこと、怒ること、憤ること、妬んでしまうことはあるんじゃないでしょうか。
だいたい、そういうことは、不正なことをされたり、悪いことに遭遇したりしたときだと思うのです。
つまり、私たちの中の正義な部分が触発されるのかもしれません。
だまされたり、悪いことをされたり、、、

これは、自分に腹を立てる時にも言えることだと思います。
よくないと思っていることをする自分に対して、怒ったり、憤ったりするわけです。

でも、そのままで日を終わらせてはいけない。そのままでいてはいけない。と聖書は言っています。
そのままでいると、「それはただ悪への道だ。」というのです。

だから、私たちは、イエス様によって、心に平安をいただき、心を癒していただき、心を守っていただく必要があるのです。


怒ったり、憤ったり、腹が立ったり、妬んだりしやすいことがあるでしょうが、
そのままで日が暮れることのないよう、イエス様に心を守っていただきましょう。


2.主に信頼する。

怒ってはいけない、妬んではいけない、憤ってはいけない、腹を立ててはいけない、、、
と、マイナス向きの面を話しましたが、プラス向きの面も見ていきましょう。

主に信頼するもの、主にゆだねるもの、主を待ち望む者、になりたいですね。

主に信頼するものは善を行うでしょう。
これは、善業によって救われるということではありません。
主に信頼するならば、悪を行うものに対して腹を立てたり、不正を行うものに対してねたみをもつのではなく、主に信頼して善を行うものになれ、という意味です。

また、世のいろんなことを喜びとしないで、主を自分の喜びとする時に主は私たちの心の願いをかなえて下さるのです。

私たちの歩むその道を主に委ね、主に信頼する時、主が正しい道を歩む人生を成し遂げて下さるのです。
そして、その道が正しいことを明らかにして、真昼のように明らかにして下さるのです。

主は悪を行うものに祝福を与えず、断ち切られ、しばらくの間だけいるだけで、いずれいなくなるとおっしゃいます。
しかし、主を待ち望むものは、地を受け継ぐといわれます。


ですから、私たちは主を信頼し、主にゆだね、主の道を歩み、主を待ち望むものでありたいと願います。


結)悪は滅び、義は輝く。

怒ったり、憤ったり、腹を立てたりするなと言われても、理不尽に感じて、そういう感情がくることもあることも話しましたが、聖書は言っていますね。
その原因である、悪を行うもの、不正を行うものは、しばらくはいるけどもいなくなるというのです。

人は全世界を得たとしても自分の命を失ったら何の得があるでしょう。
それならば、永遠の命をいただいているものは、なんと幸いでしょう。

私たちは、いずれ滅びいなくなってしまう悪や不正を行うものの為に心を乱されて、悪の道へ行くのではなく、
主によって心を守っていただき、主を信頼して、主の道、義の道を歩み、主を待ち望み続けるものでありたい。

そして、そのような道をイエス様が十字架で命を捨てて用意して下さったのです。
その救いの道、義の道を更に歩み続けるものとなりたい。