08.8.31「一番大切ないましめ 」
マタイ 22:34-40
:34 しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。
:35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。
:36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
:38 これがたいせつな第一の戒めです。
:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
マルコ12:28-31
:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
申命記 6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
レビ記 19:18 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。
序)聖書にはたくさんの戒め、約束、教え、勧め・・・などありますが、モーセの十戒でもわかるように、戒めはとても大切です。約束や教え、勧めなどは、そうしなければならない、というほどの強い拘束力もありません。
でも、戒めは、「・・・しなければならない。・・・しなさい。」といったような強い拘束力をも持ったものであると思います。
では、一番大切な戒めは・・・それが今日の御言葉です。
しかし、そのことを学ぶ前に、ひとつ確認しておきましょう。
Ⅰヨハネ4:7-11--
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して下さって・・・
「まず神が私たちを愛して下さった。愛して下さっている。」ということを確認しましょう。
・十字架の死 ・罪からの救い、解放 ・永遠の命 ・今も共にいて下さる etcによってもわかります。
勿論、聖書に書いていますしね。
そして、今日このことだけは、心に留めて下さいね。
頭に覚えるだけではなく、心に留めるんですよ。
マリヤがイエス様の言動を心に留めたように・・・
頭でっかちのクリスチャンになる必要はありません。
心豊かなクリスチャンになりたいですね。
「まず神が私たちを愛して下さった。下さっている」
では、見ていきましょう。
1.「神を愛する」
2.「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛する」
聖書でもっとも大切な命令は?「大宣教命令」?
いいえ、神を愛し、人を愛すること(このメッセージの箇所)です。
大宣教命令もかなり大切な重要度の高いものであることは確かです。
でも、今日の箇所の方が大切です。
人には私たちの心が伝わります。
本当にその人を愛して、その人のことを思っているのか?本心から?
例えば誘って教会に来てくれたら(素晴らしいことです)、
そして、これからも続けてきてほしい。是非、イエス様の愛を知ってほしい。イエス様に出会ってほしい。本当の救いに導かれてほしい、、、そのように願い、祈り、更に行動するなら素晴らしいことですし、それは、愛、ですね。
でも、私は宣教の義務を果した。信じるかどうかはこの人次第、血の責任はこれで私にはない。などという本心が奥底にあるなら、それは本当にその人を愛している行動といえるでしょうか?
本当に愛しているとわかるまで、何もできないかも知れません。
愛するから、救われてほしいと願うのであり、役に立ちたいと思う。
だから、宣教があるんです。教会が大きくなるためでも、教会が組織化するためでもありません。
神がその人(全ての人)を愛しておられる。わたしもその人を愛している。
だからその人に仕え、その人を助け、その人を救ってあげたいと願う。
そして、イエス様の救いに預かって欲しいと願う。。。
勿論、行動が先立つ場合もあります。
そこに、愛があるのか?と言われてもよくわからないけど、とにかく救われてほしいと願い伝道することもあるでしょう。
それもありです。自分の中に愛がないと思うなら、愛なる神様に、愛を求めればいいのです。
そのように、伝道等の行動が先立ち、そこに愛を求めて、神を愛し、人を愛するということもあります。
とにかく、全ての土台、全ての動機は、「愛」からであるということです。
モーセの十戒で見てみると、
出20:3--
●神を愛する
・あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
・あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
・あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
・安息日を覚えて、これを聖とせよ。
●自分を愛するように隣り人を愛する
・あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
・あなたは殺してはならない。
・あなたは姦淫してはならない。
・あなたは盗んではならない。
・あなたは隣人について、偽証してはならない。
・あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない
他にも、聖書のあらゆることは、「神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛する」時に、全うされるのです。
3.これらふたつのいましめに、律法全体と預言者とがかかっている。
聖書に書いてあることを実践しようとする。つまり、戒めを守り、教えに従い、約束のために行動し、勧めを受けていく・・・言い換えれば御言葉に生きようとすることは、全てこのふたつの戒めに集約できるのです。
全ての土台なのです。
賛美し、礼拝するのは、神を愛しているから。
聖書を読むのは・・・
祈るのは・・・
交わるのは・・・
助けるのは・・・
話しを聞くのは・・・
福音を伝えるのは・・・
仕えるのは・・・
教えるのは・・・
全て、神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛するから、することであり、できること。
救われる為には何をすればいいのですか?>>悔改めて、イエスの名によるバプテスマを受ける。
救われた後は何をすればいいのですか?>>>神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛する。
難しい神学や教えを理解しないとクリスチャン生活はできないのでしょうか?
学びたい人は学べばいいと思います。否定はしませんが、多くの人は、もっとシンプルな生活をしたいと願っていると思います。
神もまたいわれています。
「神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛しなさい」と。
そうする時に、御言葉に生きることが御言葉を知らない人にも成就していくのです。
そして、神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛するのは、
まず、神が私たちを愛し、今も愛し続けて下さっているからなのです。ここに動機があり、根拠があります。
サマーカンファレンスを通して、素晴らしい恵みをいただきました。
まさに神さまが私たちを愛してくださっているからです。
そして、私たちはこの神さまを愛するがゆえに、応答しようとしているのではないでしょうか。
それぞれが示されたことがあるでしょう。思わされたこともあるでしょう。
私も自分の今のいろんなことに対して、少しずつですが、取り組んでいく決心をしました。
どのように取り組んでいくべきなのか、主に聞きながら御言葉をいただき、行動していきたいと願っています。
オアシスチャーチの基本理念は、このメッセージです。
「神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛する人、教会を目指す」
この朝、わたしたちを愛してやまないイエス様が一番大切な戒めとして言われている
「神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛する」ことに一歩踏み出せる人は幸いです。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home