08.8.3「あなたの前に開かれる門」
黙示録3:7-13
:7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。
:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
:9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。
:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。
:13 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
序)人生を切り開くのは・・
あなたの人生を切り開くのはあなたです。という言葉はよく耳にしたことがあるかと思います。
確かにそういう面はあるでしょう。
でも、自分だけではどうしようもない面があることも事実ですね。
今日は読んでいただいた箇所から、「あなたの前に開かれる門」というテーマでお話します。
1.だれも閉じることのできない門
:8見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。
イエス様は、だれも閉じることのできない門をあなたの前に開いておいたと言われています。
私たちは自分の人生は自分で切り開こうとします。
それは、素晴らしいことです。
でも、それだけではどうしようもできないこともあるのです。
でも、ここにそのヒントがあるのではないでしょうか。
あなたの人生の歩みの中で、あなたの前に開かれる門があるのです。
そして、その門はイエス様が開いてくださるのです。
あなたの力では開くことができない門です。
「タイミング」という言葉がありますが、よく「~~はタイミングだ」なんて言います。
結婚はタイミング?不動産の売買はタイミング?
自分が結婚したいと思っても、相手がいなければ結婚できません。
自分だけではどうしようもできない部分があるのです。
でも、あるとき、心ときめく人が現れました。
結婚のタイミングでしょうか?
いえ、まだわかりません。相手もあなたに結婚を意識するのかどうかわからないからです。
お互いの気持ちが結婚に向いたとき、それがタイミングなのかもしれません。
その部分は、イエス様が門を開いてくださったときだということなのかもしれません。
土地を買って、家を建てたいと思ったときに、自分の思うような場所に、地域に、向きに、環境にその土地があるかどうかわかりません。
その土地、場所は、そこにしかない、世界でただ一つのものです。
まさにタイミングが大切です。
これらは、主がその門を開いてくださったということなのかもしれません。
神様は、一人ひとりの人生それぞれにスポットライトを当ててくださっています。
あなたには、あなたの門があるのです。
そして、それは誰にも閉じられたり、開かれたりされることはありません。
そして、あなたが開くことも閉じることもできないのです。
その門を唯一、開いたり閉じたりできる方が、イエス様です。
:1に
・・『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。
とあるように。。
さて、あなたの門は開かれているでしょうか。
イエス様が開いてくださっているでしょうか。
イエス様にあなたの門を開いていただく為に必要なことは・・・
2.御言葉を守り、主の側に立つときに
:8なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
神の言葉を守り、イエス様の名を否まなかったから、あなたの門を開いておいた、といわれます。
御言葉を守り、イエス様を自らの主として公言していくときに、イエス様は誰も閉じることのできない門を開いてくださるのです。
すぐ後の9節に、
黙示録 3:9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
とあります。
ここが、御言葉を守り、イエス様を否まないということと関係あるのではないかと思います。
ユダヤ人だと自称しながら実はそうではなく、うそを言っているサタンの会衆に属する者たちがいるということがまず聖書に書かれているということは、そういう存在がいるという事実を受け止める必要があります。
そして、その者たちが、あなたの足元にきてひれ伏して、あなたをイエス様が愛していることを知らせるというのです。
御言葉を守り、主を否むことせず、主の側に立とうとするなら、それをさせまいとする力が働いてくるということは想像できます。
少なくともサタンは、あらゆる手段を使って、そのようにしてくるでしょう。
その一つが、ユダヤ人だと自称しながら実はそうではなく、うそを言っているサタンの会衆に属する者たちによるということを示しておられるのではないかと思うのです。
少なくとも、私たちはサタンのあらゆる妨害に対して、たとえ少しばかりの力しかなかったとしても、御言葉を守り、主の側に立っていくなら、サタンさえ、閉じることができない門を主が開いてくださるのです。
イエス様に、あなたの門を開いていただく為にも、御言葉を守り、イエス様を否まず、主の側に立ち続けるものでありたいと思います。
結)あなたの前に開かれた門に向かって
あなたが、御言葉を守り、イエス様を否まず、主の側に立つならば、イエス様はあなたの前にだれも閉じることのできない門を開いてくださいます。
さて、あなたは、どうするのでしょう。
その門から入っていくこともできますが、入らないこともできるのです。
私は、その門から入って、イエス様の用意されている素晴らしい人生を歩みたいと願います。
イエス様があなたの前に門を開いてくださっているのなら、あなたは入って進んでいくべきではないでしょうか。
あなたにだけイエス様が用意してくださっている門から、入っていくなら、幸いです。
最後に、全ての人に開かれている門について触れておきましょう。
それは、「救いの門」です。
イエス様は、地上の生涯の最後に十字架に架かられました。
それは、全ての人の罪を身代わりに背負って処罰を受けられたのです。
あなたの罪もそこでイエス様は帳消しにしてくださったのです。
そうです。救いの門をイエス様が開いてくださったのです。
この門は、今すでにあなたの前に開かれています。
あなたは、その門から入って、イエス様の救いを受け取りますか。
それともその開かれた門には入らずに、救いを拒否するのでしょうか。
実はこの門はいずれ閉じられるときがきます。
それが、世の終りです。そして、あなたがその門を入るために与えられた時間も限られています。
あなたが生きているうちです。
あなたは、死んでから救いの門を入ることはできません。
だから、あなたは、生きている今、イエス様があなたのために開いてくださっている救いの門から入っていって、この救いを自分のものとしてください。
そして、イエス様はあなたがまだそれを受け取るかどうかもわからないうちから、あなたを愛するがゆえに想像を絶する痛みと苦しみの末、命を捨てて、救いの門を開いてくださったのです。
あなたがこの地上で唯一の存在であり、イエス様が宝物のように愛しておられる存在だからです。
救いの門を入って、このイエス様のもとへ進んでいきましょう。
そこに、あなたの答えがあります。
祈りましょう。
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