08.6.1「終りの時代に備えて-人に惑わされない-」
マルコ13:1-13
:1 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
:2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
:3 イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。
:4 「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」
:5 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
:6 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
:7 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
:8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。
:9 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。
:10 こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。
:11 彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
:12 また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。
:13 また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
マルコ13:31-32
:31 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
:32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
序)どんな時代なのか。
今は、どんな時代でしょうか。
弟子たちは石でできた立派な宮を見て、なんと素晴らしい建物でしょう、とイエス様に言いました。ところが、イエス様は、この建物がこのまま残ることはない、、つまり、これらの立派と思えるものであっても、砕かれてしまうことを話されたのです。
そして、弟子たちがそんなことが起こるのはいつなのか、どんな前兆があるのか、イエス様に尋ねたときに、イエス様は話し始められたのです。(5節以降)
その内容を見ると、この宮の建物の崩壊について語られたというよりも、天地が滅びること、終りの時代のことを言われていたことがわかります。
つまり、これは、私たちにも大きく関係のあることなのです。
なぜなら、この13章の最後、このイエス様の話の最後にこのようにイエス様が言われているからです。
:37わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。
私たちも含めて、全ての人に対してイエス様が語っておられるのです。
そのイエス様の語られた話を見て、終りの時代に備えるものになりたいと思います。
そのための重要なワードは、
「人に惑わされないように気をつけなさい。」
詳訳聖書では、「だれにも迷わされないように用心しなさい<目をさましていなさい>」
とあります。
さて、順に見ていきましょう。
1.終りの時代の前兆
終りの時代の前兆についてイエス様の言葉からみてみましょう。
・偽預言者、偽キリスト
:6 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
詳訳聖書では、
多くの者が私のものである<メシヤの>名をもって<自分の名にして>現われ《私の名を使って主張をなし》『私こそ〔メシヤ〕である』と言って、多くの人を迷わせる。
とあります。
私こそ再臨のキリストだと言っている人もおり、それに惑わされて信じてしまった人もたくさんいます。多くの異端があることを思うとき、この前兆はすでに起こっており、さらに進んでくることは想像できます。
日本ではあまり聞きませんが、キリストは肉体を持った使徒に受肉し、まず地上に再臨され、そして、地上にキリストの王国を建て上げなければ、その後のキリストの再臨はない。だから、その使徒の言うことに従わない者を地上から清めなければならないといった教えがあることも聞いています。これに多くのクリスチャンが惑わされているとのことです。
まさに、キリストの名を使って主張をして、メシヤを宣言しているわけです。
しかし、聖書を読めば、キリストがそのような形で再臨するようなことは書いてありません。
それでも、言葉巧みに惑わしていると言うのは、とても危険な時代と言えるのかも知れません。
これもまた、終りの時代の前兆なのかもしれません。
・戦争と戦争のうわさ
:7 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
多くの戦争がありました。今もまた戦争のうわさも絶えません。
ちなみに、アメリカは、今からほんの230年前に建国された国ですが、現在までに200回もの他国との戦争を起こしています。
でも、終りが来たのではないといわれています。これらも前兆なのです。
・紛争
:8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、・・・
民族紛争もあちこちで現在も起こっています。国同士の戦いもあります。
中東やアフリカ等は、よく耳にします。
・地震や飢饉
:8 ・・・、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。
先日の四川大地震もそうですが、多くの地震が起こり、多くの被害が出ていることを思うと、これらも前兆なのでしょう。
また、飢饉についても深刻な時代です。詳訳聖書では、「飢饉や災害」とありますから、自然災害もそれらの前兆なのでしょう。
アフリカでは本当に貧しい生活で、国の平均寿命が40歳代の国もいくつもあるそうです。
それらは、紛争が原因だったり、飢饉が原因だったり、まさにイエス様が語られたことが起こっているといえるのではないでしょうか。
これらを思うときになんとも痛ましい時代なのですが、これらは、産みの苦しみの初めだと言うのです。
そうです。終りの時代なのではなく、その前兆なのですから。。
そして、そんなことを見聞きしたとしても、決して、人に惑わされてはならないのです。
では、終りの時代はどのようなものなのでしょう。
2.終りの時代
:9 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。
あまり歓迎したくないことをイエス様は語られていますが、聖書を真摯に受け止めなければなりませんね。
イエス様を受け入れ、イエス様に従う人は、議会に引き渡され、会堂でむち打たれる。
これは、クリスチャンが国会議員になって、議会に出席するのとは違います。
引き渡されるのです。
そして、ここでの議会とは、ギリシャ語でサンヘドリン、つまりイエス様が十字架刑を宣告された議会であり、宗教的・政治的な組織です。
ということは、私たちがイエス様を信じて、イエス様に従うなら、宗教的な意味合いで議会に引き渡され、また、会堂でむち打たれるのです。
どこかの公民館ではないのです。キリスト教の会堂なのかもしれません。
あるいは、ユダヤ教の会堂なのかもしれません。少なくともそのような宗教的な意味合いを持つ場所であると思われます。
終りの時代には、このように唯一にして真の神様を信じるものが迫害される時代でもあるのです。
でも、この迫害には意味があるのです。
:10 こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。
とあります。
福音が宣べ伝えられる時代でもあるのです。
私たちは今、いろんな方法で福音を伝え、証をしたりしていますし、していくでしょう。
それはとても大切なことです。
しかし、それゆえに捕らえられるかもしれません。
それゆえに、会堂でむち打たれるかも知れません。
それゆえに、議会に引き渡されるかも知れません。
これらのことは、更に福音を伝える機会となるのです。
そして、その時に私たちは何を語るのか、どう話すのか、を準備する必要があるのでしょうか。
ないのです。
:11 彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
詳訳聖書では、
彼らがあなたたちを捕らえて衆議所に連れて行っても、なんと言おうかと前もって心配するな。またそんなことは考えてもみるな。その時<その瞬間>に示された事を言いなさい。語るのはあなたたちではなく、聖霊だからである。
とあります。
ここに終りの時代に私たちが心がけることがもう一つ書いてあります。
語るのは、私たちではなく、聖霊なのです。
私たちが「聖霊に拠り頼むこと」がとても重要なことであるとわかります。
そうでないと、この困難な終りの時代を耐え忍ぶこともまた困難なのでしょう。
なぜなら、
:13 また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
とあります。
また、
:19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。
:20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。
とあるからです。
イエス様に、心からより頼むものとなりたいですね。
結)決して滅ばない言葉に望みを置いて。。
:31 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
:32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
終りの時代は、とても苦しい苦難の日です。
実際今の日本経済を見ても思います。・・・
これから、どんどん大変な状態になっていくことでしょう。
なぜなら、終りの時代へと突入していくでしょうから。。
そして、選民さえも惑わされるかも知れない時代になっていくのです。
しかし、その時は誰にもわかりません。
もうすぐ来るのかも知れないし、私たちが生きているうちでは来ないのかも知れません。
それでも、いつきても大丈夫なように私たちは準備しておかなければならないのです。
そうイエス様は命じておられます。
経済が崩壊しても、国が崩壊しても、あらゆる人間関係が崩壊しても、教会が崩壊しても、
天地が滅びても、決して滅びることがないものがあります。
それが、御言葉です。聖書です。神の言葉です。
私たちは、人に惑わされることなく、イエス様を信頼し、聖書に望みを置いて、終りの時代に備えるものになりたいと思います。
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