08.4.6「救いへの道」
ルカ 23:39-43
:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。
:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
序)二種類の人。
同じ状況におかれていながら、違う選択、違う反応をする人がいます。その結果は当然変わってきます。
靴を売る営業マン二人がアフリカに行った話しを聞いたことがあります。
現地に到着した二人は、現地の人が靴を履いていないのを見てそれぞれ本社に報告しました。
一人は、「社長駄目です。ここでは靴は売れません。だって、誰一人靴を履いてないんです。靴が必要ない人ばかりですから、売れるわけがありません。。」と。
もう一人はこう報告しました。
「社長、今すぐあるだけの靴を送って下さい。これほど大きな市場はないです。他社が入って来る前に確保しましょう。なんせ、靴を履いている人が一人もいないのです。これほど必要のあるところはなかなかありませんよ!」と。
同じ状況を見た二人ですが、その反応は全く違いました。
人は同じ状況に置かれていても、違う反応、違う選択をします。
今日お読みした箇所でも同じようなことが書いてあります。
イエス様の十字架の両側に一緒に十字架につけられた二人の犯罪人はどうだったでしょう。
見ていきましょう。
1.イエス様をののしった男
>救うために待っておられる主。
一人の男は、イエス様をののしりました。
「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と。
私達も人にイエス様の話しをしたりすると、
じゃあなんで神様は人間が罪を犯さないように作らなかったんだ。
そんなに愛なる方なんだったら、罪を犯している人間も救ってくれたらどうなんだ。
結局は信じて入信しないと救われないんだろ?なんて心の狭い排他的な神なんだ。
などといわれることもあります。
イエス様は全ての人が罪を犯さないように作ることもできたでしょう。でもされませんでした。
それは、私達を愛しておられるからです。
あなたは愛している人を自分の思う通りにしたいがために監禁したりするでしょうか?
もし、そうするなら、それは愛ではありません。
愛する人から、その人の意志で愛して欲しいでしょう。それが本当の愛です。
無理に愛して欲しいとは思わないでしょう。
神様も私達が不自由な拘束の中にいるよりも自由の中で生き、わたしたち自身の意志で人生を送ることを赦されるという大きな愛で接して下さっている。だから、ロボットのようには作られなかったのです。
神様は私達を愛して受け入れて下さっています。でも、罪を受け入れることはできません。
ですから、罪を持ったままだと受け入れられないのです。
排他的なのではないのです。人は受け入れても罪は受け入れられないからなのです。
よく読んでみると、イエス様はここでののしられましたが一言も呪われたりされませんでした。
そうです。この ののしった男にも救いが必要であることをご存知なのです。
そして、この男が心を開いてイエス様を信じるのを待っておられるから、何も言われなかったのではないでしょうか。
誰かにイエス様の福音を話した時、その人が受け入れたなら救われるでしょう。
しかし、受け入れなかったなら救われないのでしょうか。いいえ、まだ救われていないだけなのです。
イエス様はいつまでも待っておられるのです。
ですから、ののしった男でさえ、地獄行きを宣言されたりしなかったのだと信じます。
イエス様は一人の人が信じて救われることを願い、忍耐し、待っておられるのです。
救うために待っておられる主です。
さて、もう一人の男はどうだったでしょう。
2.ののしった男をたしなめ、イエス様に心を開いた男
>ただちに救いを宣言される主。
イエス様はすぐに答えられました。
「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と。
心を開き、受け入れ、信じるのをいつも待っておって下さって、告白する時にただちに救いを宣言して下さるのです。
まさに、救うために待っておられる姿が見えます。
子供を叱る時、親は待っています。
悪いことをした時にはしっかりとしつけなければと思い、叱ります。
しかし、子供が「ごめんなさい」といった時には抱きしめます。
その告白を待っているのです。
神様も同じように、わたしたちが告白することを待っておられます。
そして、告白したならすぐに救って下さるのです。
なんと素晴らしいことでしょうか。
「イエス様信じます」と告白した時に、
イエス様が「よし、じゃあまず、1週間断食の祈りを捧げて、その後1年間、毎朝6時から私の前に祈りの時間を持ちなさい。それから、日曜は休まず教会へ礼拝に出席し、献金をたくさんしなさい。えーっと、あなたの年収は○○円だから、○○円以上捧げなさい。その後、100人以上の人に伝道し、10人以上を教会に導きなさい。勿論、その中から私を信じる人を起こしなさい。あなたもそうやって、○○さんがリストにあげて誘ってここまできた人なんだからね。それから、まだあるよ。教会での奉仕は、まずはこれをやって、慣れてくる3ヶ月経った頃からこれもやりなさい。・・・」なんていわれたらどうでしょう。
いつになったら救われるのでしょうか(笑)
イエス様はそんなことを一言も言われませんでした。
イエス様が十字架に架かっておられるその横で一緒に十字架に架かっている男です。
何もできません。今まで悪いことをしてきて、十字架にかけられたのです。
イエス様を信じることはできても、伝道もできなければ礼拝出席もゼロです。献金もできませんし、奉仕もできません。
でも、イエス様は救いを宣言されました。
まさに、イエス様の救いには、条件・行いは不要です。
信じて告白するだけです。
こんなに素晴らしい救いを用意して下さっている主に心から感謝し、あがめましょう。
結)
私達は、イエス様を待たしていたかも知れない。今も待たしているかもしれない。
でも、イエス様はいつまでも待っていて下さる。
気付いた時に、イエス様に心を開いて告白しましょう。
そうです。イエス様だけが救い主なのです。
使徒 2:38には、どうしたら救われるのかがはっきりと書いてあります。
:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
このイエス様を救い主として受け入れ告白する時、あなたの魂に救いがやってきます。
ののしっていた男のこの後のことは書かれていませんが、もしたしなめられて気付いて悔改めイエス様を信じ告白したのなら、その後、救いを宣言されたでしょう。
イエス様の救いは永遠です。一度拒んでも二度拒んでも何度拒んでも、最後に信じ受け入れるなら救って下さるのです。
分かれ道で選択を誤っても、変更可能なのがイエス様の救いです。
その時も何の条件もありません。信じ告白するだけです。
そしてイエス様は何も咎められません。優しく受け入れて下さるのです。
さあ、どうですか。イエス様の救いは排他的でホントの愛といえないでしょうか?
こんなに素晴らしい救いを用意し、寛容に待って下さっているお方で、完全な救いを与えて下さる方がイエス様なのです。
素晴らしいですね。
イエス様は今も待っておられます。
このことに気付き、心を開く人は幸いです。
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