08.1.20「約束から始まる」
創世記 28:10-22
:10 ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。
:11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
:13 そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。
:17 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
:19 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。
:20 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、
:21 無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、
:22 石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」
序)主はおられる
ヤコブは、エサウから祝福を奪ったことで、命を狙われるような状況になった。
それゆえ、その家から旅立つこととなった。
イサクはヤコブを祝福して、リベカの兄ラバンの娘たちから妻を迎えるようにと、送り出した。
ヤコブは日が暮れたので、石を枕にして休んだ箇所で夢を見、主の声を聞いた。
ヤコブはおそらく、とても不安なスタートを切ったのではないかと思います。
父イサクが祝福して、送り出されたとはいえ、この旅に不安がなかったとは、いえなかったのではないかと思うのです。
しかし、そんな時、神様は夢の中で語られたのです。
「共にいて、決して捨てない」と。
ヤコブはどれだけ励まされ、慰められたでしょう。
実際ヤコブは、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」
「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」 と言っています。
私たちもまた、不安を持ちながらスタートしたり、進んでいるようなことがあるかもしれません。
それは、信仰に限らず、普段の生活の中であっても、です。
しかし、そんな時に、神様が共におられる事がわかったなら、どんな大きな力になるでしょう。
今日は、そんなヤコブと神様とのやりとりから、共に教えられて、更に神様の御心に歩んでいきたいと思います。
1.神は約束され、成し遂げる方
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
このように、神様は、ヤコブに約束されました。
これは大きな祝福ですね。
アブラハムに神様が与えられた約束、希望にそっくりです。
それはそのはず、アブラハムへの約束はその子孫に対しての約束でもあったからです。
これだけでも、素晴らしいことがわかりますね。神様が約束をされ、そして忘れることのない方であることが。。
ヤコブからすれば、お祖父ちゃんに神様が約束された言葉を孫である自分が聞くわけですから。
それをヤコブが知っていようが知っていまいが、神様はここでもヤコブに約束されたのです。
そして、それを成し遂げると言われています。
神様はあなたに約束なさいます。そしてそれは必ず成し遂げられるのです。
聖書にはたくさんの約束があります。
私たちはそれを神様からの約束として受け止めておられるでしょう。
でも、それは成し遂げられない約束だと思ってはいませんか。
私たちの記憶は不完全ですから、忘れてしまっていることもあるかもしれません。
世の中には、絶対というものは存在しないでしょう。
しかし、神様ご自身が絶対的な存在ですし、完全ですから、その約束を忘れることはないのです。
神様は、約束され、そして成し遂げられるお方なのです。
2.神に約束する
神様は、私たちに約束をされる方で、そしてそれを成し遂げられるお方です。
さて、私たちはどうすればいいのでしょうか。
その約束を成し遂げてくださるのをただ待っていればいいのでしょうか。
ヤコブは、神様が現れ、約束してくださったとき、このようにしました。
それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」
ヤコブもまた、神様に約束したのです。
これは、神様に対する応答でしょう。
私たちは、目標を立てます。これは、自己実現のためでしょうか。
それであるなら、信仰は不要です。また、虚しいものとなるでしょう。
神様が私たちに約束し、成し遂げてくださると知っているから、それに応答して、そのために自分ができることを目標とするのではないでしょうか。
もし、自分の目標を実現するために神様に祈っているとするならば、それは、自分の欲のために、神様を利用しているに過ぎないのです。それは、神様の前に正しい姿勢といえるでしょうか。
神様が私たちに約束してくださっていることの実現を見る為に、私たちもまた神様の前にその信仰を表すために目標を立てるのであるなら、それは幸いですし、素晴らしいことです。
神様は私たちに約束をされるのです。そして、私たちは実現を見る為に、目標を立てるのです。
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」と約束をされたなら、何もせずに、「主よ、早く家族も救ってください。私待ってますから。。」と何もしないでいいのでしょうか。
たとえ、何もしなくても、神様は救うことができる方です。
しかし、神様がそのように約束されたなら、私たちは「ありがとうございます。では、私にできることは何でしょうか。神様が家族をも救ってくださるのですから、私もあなたに何かしたいのです。」という反応が神様の前に正しい反応だと思うのです。
「家族の救いのために、毎日祈ります」
「家族に仕えます」
と自分にできることを神様の前に応答されるでしょう。
それが目標だと思うのです。
勿論、神様に約束したからといって、それができなかったからということであなたが誰かから攻められることはありません。それはあなたと神様との関係で祈ればいいことです。
悔い改めることであるなら、神様の前に悔い改めましょう。再度チャレンジするように示されるなら、祈って再チャレンジすればいいのです。
神様からの約束は受け取っても、神様に約束はしないというようなことをしていないでしょうか。
もう一度、確認してはどうでしょうか。
結)約束から始まる
ヤコブの旅は、ベテルからスタートしたといってもいいのではないでしょうか。
神様からの約束と、神様との約束から始まったのです。
その約束があったから、その後の人生もまた、歩んでいけたのだと思うのです。
私たちもまた、神様からの約束を受け取りましょう。
そして、神様と約束しましょう。
そこに信仰生活の素晴らしい実りが実現していくのです。
神様から約束を受け取り、神様と約束することができるよう、祈るなら幸いです。
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