07.11.11「実(じつ)は生きている」
黙示録 3:1-6
:1 また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
:2 目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行ないが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。
:3 だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。
:4 しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。
:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。
:6 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
序)サルデスの教会へ
ここは、サルデスにある教会の御使いに対して、語られたものです。
語られた方は、
「神の七つの御霊、および七つの星を持つ方」と表現されています。
御霊が7つあるのか?7つの星とは?
本当の意味、解釈は、天国で主に直接聞きたいと思いますが、
聖書で「7」や「12」という数字は、「完全」を表しているといわれていますね。
つまり、神様の完全な御霊、完全な星を持つ方、、つまり、完全なお方を指しているのだと考えられます。
その完全な方が言われるのです。
見てみましょう。
1.あなたの行いを知っている。
毎回出てきますが、
神様は、私たちの行いをちゃんと知ってくださっています。
私たちは神様の前にあまり目立たってなかったとしても、周りの人が評価してくれなかったとしても、神様はあなたの行いをちゃんと見てくださっている、知ってくださっているのです。
でもそれは、良い場合も悪い場合も・・です。
さて、主はその行いを知ってくださっていますが、その上でこう言われています。
2.実は死んでいる。
「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。」
行い、行動というのは、全てが生きたものとは限りませんよね。
行いとしては行動しているけれども死んだ状態のようなものもあるのです。
このサルデスの教会でも、見た目は生きているとされていたけれども、神様の目から見れば、実は死んでいる状態だったということです。
私たちは、礼拝に集います。聖書を読みます。祈ります。交わります。伝道します。。。
いろんな行動、行いをしますが、それらが「実は死んでいる」状態になっていなかったでしょうか。
ここでは、「実は死んでいる」といわれた方は、その後、どのようにいわれていますか。
3.目をさましなさい。
イエス様は、「実は死んでいる」人に対して、目をさますように言われています。
このまま行いを続けたとしても、その行いは神の御前に全うされたとは見られていないのです。
だから、目をさまして、生きた行いをすることを望まれたといえるでしょう。
そのために、どのように受け、また聞いたのかを思い出し、それを堅く守り、悔い改めるよう言われました。
生きたものとしての行動は、何の為なのか、、、
いろいろあるでしょうが、その大きな一つがここに書いてあります。
「そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい」
まだ、死んではいないけれども死にかけているほかの人たちを力づける為でした。
私たちも死んでいるなら、眠っているなら、目をさましましょう。
そうするならば、神様によって、私たちを通して、他の人を力づけることができるのです。
結)実は生きている。
行いが神に知られていても、生きているように見えていたとしても、実は死んでいるといわれるものではなく、神様以外の周りからどう見られていようと、神様が
「あなたは(死んでいるように見えていてるが)、実は生きている」と言われる者になりたいですね。
ある兄弟が来られたときに、後で聞いた話ですが、教会からは遠ざかって、礼拝には出席していなかったけれども、その間、聖書は読んでいたということを聞きました。
「彼は神様から離れてしまった」と思われていたかも知れない。
まるで、その信仰が死んでいるように見えたかもしれない。
でも、実は生きていたのです。
確かに死にかけていたような面もあったかもしれません。
でも、御言葉からは離れずに生きた信仰が残っていたのです。
だから、少しのきっかけで礼拝にも回復することができたのだと思うのです。
勿論、これは、本人だけでなく、背後でのいろんな人の祈りもあったことでしょう。
つまり、人間の見た目だけでは、死んでいるか生きているかわからないのです。
ある人々から見れば、私たちの教会は死んでいると思われているかも知れません。
でも、神様が「あなた方は、実は生きているよ」といってくださるなら、なんと素晴らしいことではないでしょうか。
私たちは、神様から「実は生きている」と言われる信仰を持ち、そのような教会となりたいですね。
そして、死にかけているほかの人たちを力づけるものとさせていただきたいですね。
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