2007/09/16

07.9.16「優先することの重さ」

創世記22:27-34
:22 子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は。」と言った。そして主のみこころを求めに行った。
:23 すると主は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」
:24 出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。
:25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。
:26 そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。
:27 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。
:28 イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。
:29 さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。
:30 エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。
:31 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。
:32 エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。
:33 それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい。」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。
:34 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。


序)
エサウは長子の権利を軽蔑した。
これは、神の祝福を軽視したことを意味する。

物事を軽く見ることは、わたしたちの生活の中でもあることでしょう。
しかし、軽く見てはいけないことがあることも事実です。

子供が怪我をした時、ちょっとすりむいた程度の怪我でも、本人は気になる。
でも、そんなに重く受け取る必要はなく、ばい菌等が入って化膿しないようにさせすれば、軽く見てもいいですよね。

逆に、
最近のリアルなゲーム
人を痛めつけたり、殺したりすることに対して、
ゲーム感覚で犯行に至る青少年がいるが、まさに命を軽く見ていると言えるでしょう。
これは、軽く見てはいけないこと。
個人的には、こんなゲームはいらないと思う。


さて、エサウが長子の権利を軽くあつかったように、
神の祝福を軽く扱ってもいいのでしょうか。
答えはNo!です。

神の祝福、神様を優先しなかった時に、エサウのように軽視してしまうのです。
エサウが神様の祝福、神様を優先せずに、何を優先したから、軽視してしまったのかを見て、
私たちは共に教えられ、共に神様を、神様の祝福を優先し、重視するものとなりたいと思います。

さて、エサウが神様を差し置いて何を優先したのか見てみましょう。


1.赤い物・・・「肉を満たすもの」

エサウは神の祝福よりも「赤い物」を優先したのです。

エサウは、狩りから帰って来て、飢え疲れていたのです。
ですから、ヤコブが作っていた「赤い物」を食べたいと思いました。
別にこれは健全なことですね。
お腹が空いたから、食べたい。
喉が渇いたから、飲みたい。

しかし、この時、ヤコブは、「赤い物」をあげるかわりに、「長子の権利」を売るようにいいました。

エサウはここで、長子の権利を売ってまで「赤い物」を買う必要があったのでしょうか?
ここは、長子の権利を優先すべきでした。

しかし、エサウは長子の権利を売ってまで「赤い物」を買ったのです。

「赤い物」・・・つまり、自分の肉体的な欲を満たすものを優先したのです。

一時的に満足するでしょう。
しかし、長子の権利は二度と買えないものです。

私たちは、神様の祝福よりも、一時的な肉欲を満たすものを優先させてはならないのです。
もし、優先させてしまったら、比べようもないような大切な物を失うことになるかもしれないのです。


私たちは、肉を満たすものではなく、神の祝福を神様ご自身を優先するものになりたいですね。


2.今の私に・・・「今だけを満たすもの」

エサウは、「長子の権利など今の私になんになろう」といって、
”今さえ”よければいいという「今だけ」を満たすものを求め、優先しました。

今さえよければいいという「今だけ」を満たすものを優先する時に、神の祝福を失うことになるのです。

私たちは、今だけを満たすものではなく、神様の祝福を神様ご自身を優先するものになりたいですね。


結)
エサウにとって、この出来事は軽視したくらいですから、小さな出来事だったのでしょう。
しかし、その結果はあまりにも大きな違いでした。
ヤコブはイスラエルとなり、イスラエル民族の父祖になりました。
もし、エサウがこの時、長子の権利を売っていなかったら、歴史は変わっていたかも知れません。
この小さいと思える出来事での決断ひとつで、エサウの人生は変わってしまったのです。

私たちの優先順位の上位に置く物は何でしょうか。
「神様からのもの」です。
私たちは小さな決断、あるいは小さいと思える決断をすることによって毎日を生活しています。
その決断の時に、「神様からのもの」を優先し、選択していく決断をして行く時に、
大きな祝福を受けることになるのです。

「神様からのもの」を優先するものになりたいですね。