08.1.6「希望から始まる」
新年 あけましておめでとうございます
創世12:1-8
:1 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
:4 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。
:5 アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。
:6 アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。
:7 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
:8 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。
序)希望を与えられる主お正月休みはいかがでしたか。既に仕事が始まっている方もいらっしゃるでしょうが、正月ボケは抜けましたか。
正月前は、お正月が楽しみでわくわくしていた方もおられるかもしれませんね。
夏以来の長いお休みだし、正月でおいしいものも食べられるし、ゆっくり寝てられるし、初売りや福袋が楽しみだったり、お出かけだったり、、、高校サッカー、同窓会、、、
それらが楽しみで、その時が来る前はとても嬉しいものです。
みなさんは、遠足の前日とか、旅行の前日とかにわくわくして眠れないという経験はありませんか。何か楽しみなことがあるとその日に心が向いて、楽しみになりますよね。同じようなことなんじゃないかなと思います。
このように何か楽しみなことがあると人は前に進めるものです。
それは「希望」ということもできるでしょう。
そこにはいろんな期待感があるからかもしれませんね。
アブラム(のちのアブラハム)は、主から素晴らしい希望を与えられました。
それは、
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
というものです。
先ほどのたとえのような小さな「楽しみ」というレベルの低いものではなく、その人生を変えるほどの大きな「希望」です。
私たちもまた、新年を迎え、主から希望を与えられてスタートしたいですね。
私自身まだ、今年のことについて祈っている途中ですが、主は御言葉を通して希望を与えてくださると信じています。
既に与えられている方もいらっしゃるでしょうし、以前から与えられている希望を今も持っておられる方もいらっしゃるでしょう。
今日は、「希望」が与えられた私たちがなすべき行動について、アブラムのこの箇所から、共に教えられていきたいと思います。
1.踏み出す。
:4 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。
アブラムは、その希望を持って、生まれ育った故郷を踏み出したのです。
私たちは、希望に向かって、まずは踏み出さなくてはなりません。
そうしないと何も始まらないのです。
昨年のクリスマスには、Yでの2年目のクリスマス会を持ちました。
これも、子供たちやそのお母さんたちにクリスマスの本当の意味を知ってもらいたい、福音を伝えたい、という希望を持ったことからスタートしています。
クリスマス礼拝になんとかたくさんの未信者にきてもらって、福音を伝えたい。クリスマスというチャンスに福音を一人でも多くの人に伝えたい。そのような希望を持ったことから、クリスマスパーティを持つことができました。
そして、実際にそれは実現することができました。
そこに共通することは、その「希望」のために、まず1歩踏み出したということです。
Yのクリスマス会では、E姉妹がそのお母さん方に普段の交わりの時に、声をかけてみることをされました。実際に準備しました。祈りました。誘いかけをしました。
クリスマスパーティでは、実際に企画をし、準備をし、祈り、誘いかけをしました。
その「踏み出す」という行動をスタートさせたときに、その希望に近づきはじめたのです。
出エジプトのとき、モーセは主が言われたとおりに、その杖をあげ、紅海に向かって、手を振り下ろしたときに、その水は分かれて、乾いた地を民たちが渡ることができました。
また、ヨシュア達、イスラエルの民がヨルダン川を渡るときに、その祭司たちの足がヨルダン川に踏み入れられたときに、その上流からの流れはそこでせき止められ、民はみな渡ることができました。
これらもまた、主の言葉(希望)に向かって、踏み出したときに、行動を起こしたときに、その実現に近づいた出来事です。
希望が与えられた私たちがどうすればいいのか、それはまずその希望に向かって「踏み出す」ことです。
今、与えられている希望に向かって踏み出していますか。
今年与えられた、あるいは与えられる希望に向かって踏み出していきましょう。
もう一つは、、
2.祭壇を築く。
:7 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
:8 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。
アブラムは、祭壇を築き、主の御名によって祈りました。
主の希望に向かって、踏み出した私たちはそのまま突っ走ってしまうのではなく、絶えず主の声に敏感になる必要があります。
アブラムもまた、カナンの地で「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」という声を聞きました。
いつも、主の声を聞き、主が望んでおられることを悟って、進み続けることが必要なのだと思います。
昨年のクリスマスの行事についても、今後、どのように導かれていくのか、主の声を聞いていく必要があると思っています。
主が始めてくださったことですから、主が完成させてくださると信じていますが、主の声を聞くことは重要です。
モーセもヨシュアも最初に聞いただけであとは主の声を聞かずに進んでいっただけではありません。
絶えず、主の声を聞き、それに従っていったのです。
そして、それにはもう一つの意味があると思います。
主に信頼する、主に委ねる、という意味です。
希望が与えられて、行動を開始したとしても、自分の力でそれを成し遂げようとしてはならないのです。
勿論、私たちは自分のできることを精一杯するでしょう。それは素晴らしいことです。でも、それは自分の力でするということではなく、自分に与えられた力を主に捧げるということです。
そして、絶えず主に信頼して、希望に向かって進んでいくのです。
今年の教会のいろんな計画もまた、主から与えられた希望として、行動をスタートし、主に信頼して、進めて行きたいですね。
「祭壇を築く」とは、主の声を聞き、主に信頼することです。
結)完成者は、イエス様。
私たちは、主から希望が与えられます。
そして、その希望に向かって、まずは踏み出します。
そして、その実現に向かって、主の声を聞き、主に信頼しつつ、前進していきます。
その実現は、短期間で見ることができるものもあるでしょう。
あるいは、長くかかるものもあるでしょう。
しかし、それを完成して下さるのは、イエス様です。
だから、私たちはまだ実現を見ていないからといって、自分を責める必要はありません。もし、反省すべきがあるとすれば、自分が踏み出していないのではないか、主の声を聞いていないのではないか、主に捧げられていないのではないか、主に信頼できていないのではないか、と問うてみましょう。
また、あきらめてはなりません。主が始められたのなら、主は必ず完成させてくださる方だからです。
ピリピ 1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
ヘブル 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
希望を与え、それを実現される完成者であるイエス様に今年もしっかりと目を向けて前進する一人一人でありたいと願います。
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