07.11.18「神様はどんな方?」
ホセア 6:3 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」
序)神様を知ろう。
神様はどんな方でしょう。それは、聖書を読むたびにわかりますし、聖書の話しを聞く度に垣間見ることができます。
しかし、語り尽くせるような方ではないことも事実です。
でも、今日は、その中から、どんな方であるのかを少しかいつまんでみていきましょう。
1.創造される方
創1:1-
1:1 初めに、神が天と地を創造した。
:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
神様は、天と地を創造し、光と闇を、地と海を、地上のあらゆる植物や生き物、全てを創られ、
アダムとエバという最初の人を創造されました。
そして、それらは、神の言葉によって創られたのです。
その造ったものを見て、「よし」とされたのです。すなわち、良いものをつくられたということです。
今も神様は私たちを創って下さっている。
私たちは神様によって創られたのです。
このように神様はあらゆる良きものを創られる方です。
そして、神様がわたしたちも含め、人を創造されたのは、
神が愛の対象として、私たちを愛する為に創られたのです。
最初に創ったこの時から、いやその前から、神様は人を私たちを愛して下さっているのです。
2.さばかれる方
アダムとエバもさばかれたことがありました。
創世 2:16-17
神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
しかし、これを破ってしまった二人は、園から追放されるという裁きを受けました。
また、ノアの時代には大きな裁きがありました。
創世 6:5-
:5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
:6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
:7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
:8 しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
神様が最初に創ったものはすべて良いものであったのすが、地上を委ねれらた人々の中には悪がはびこり、神様は自ら裁くことを決心されました。
これは、神様は怒ったというよりも、悲しみ、心痛めて、さばくことをされたようです。
なぜなら、神様は愛しておられたから、その愛している人々が悪に満ちていくのを見ていられなかったのでしょう。
それは、人を滅ぼす為ではなく、悪を滅ぼす為に裁かれたのです。
私たちの中に悪が満ちてくるなら、神様はその悪を滅ぼす為に裁かれるでしょう。
でも、それはあなたを愛するがゆえです。その神様のお気持ちをしっかりと理解したいですね。
3.約束し、導かれる方
創世 12:1-
:1 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
アブラハムに約束を与え、導いて、祝福し、そして、そのアブラハムへの約束が実現されていくのです。
イサクという子供が与えられ、イサクからヤコブが、そして、ヤコブからイスラエル12部族が生まれ、イスラエル民族となったのです。
また、後の時代では、サムエル、イザヤ、エレミヤ、エリヤ、エゼキエル・・・等、多くの預言者を通して神は語られ、導かれる時代もありました。
神様は私たちに約束し、そして導かれる方なのです。
4.救われる方ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ノアの洪水によって、地上の悪をさばき、滅ぼされた後、
神様は二度とこのような洪水のよって滅ぼすことはないと約束されました。
しかし、今度は、神様はイエスキリストとして地上に生まれて下さり、罪のない生涯を歩まれ、その地上の最後に十字架で死んで下さり、わたしたちの罪をその身に負って下さいました。
そして、墓に葬られ、三日目によみがえって、天に昇られたのです。
こうして、救いを完成して下さり、わたしたちがイエス様を信じる時に、救われて、神の前に立てるようにして下さったのです。
神様は私たちを救われる方です。
これは、今日話す5つのうちで最も大切なことで、忘れてはならないことです。
そして、私たちを救ってくださるのは、神様がいかに私たちを愛しておられるかということです。
1ヨハネ 3:1
わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。
イエス様の十字架の死と葬りと復活による救いは神様の最大の愛の表れです。
5.共におられる方
詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
マタイ28:20 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
ヨハネ14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
神様は共におられ、導かれる方です。
聖書という書物を通して、私たちの人生を導かれる方。そんな形でも共にいて下さる方。
聖書は神の言葉です。その神の言葉がいつでも読める境遇にいるというのは、神の言葉にいつでも触れることができるということです。
まさに神が共におられるのと同じだと言えるでしょう。
神様にこのことを感謝して、聖書に親しみたいですね。
更に神様は今の時代、聖霊として共におられるのです。
世の終りまで、いつも、共にいると約束して下さっています。
有名な「あしあと」という詩です。
ある夜、私は夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合って下さると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
神様は、わたしたちと今も共にいて、歩んで下さっているのです。
結)これらのことから、わかるとても大切なことがあります。
それは、
「神様は私たちを愛しておられる」
ということです。
”あしあと”の内容からもわかりますが、
神様は私たちを愛の対象として創造し、
愛するが故に、さばくこともなさいます。
また、愛するからこそ、約束し、導かれる。
愛するからこそ、滅びの道に行かないように、救いの道を備えて、わたしたちを救って下さる。
そして、愛するからこそ、共にいて下さる。
神様がどんな方かを知れば知るほど、
神様が私たちを愛して下さっているということがわかります。
私たちも神様を愛し、受け入れるなら、
神様は私たちを救って下さる。
そして、導いて下さるし、共にいて下さる。
神様がどんなに素晴らしい方か、そして愛して下さっているかを少しでも知ることができましたか。
あなたは神様を愛するでしょうか。
そして、神様はあなたを愛していると同じように、あなたの家族を愛しておられます。
あなたの友人を愛しておられます。全ての人を愛しておられるのです。
今日、神様の愛を深く知り、イエス様がどんなに素晴らしい方かを深く味わい、私たちができる応答をする週とされるなら、本当に幸いです。
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