08.1.13「祝福から始まる」
創世記27:1-17-41
:1 イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき、長男のエサウを呼び寄せて彼に「息子よ。」と言った。すると彼は、「はい。ここにいます。」と答えた。
:2 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。
:3 だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。
:4 そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。」
:5 リベカは、イサクがその子エサウに話しているのを聞いていた。それでエサウが獲物をしとめて来るために、野に出かけたとき、
:6 リベカはその子ヤコブにこう言った。「いま私は、父上が、あなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。
:7 『獲物をとって来て、私においしい料理を作り、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、主の前でおまえを祝福したいのだ。』
:8 それで今、わが子よ。私があなたに命じることを、よく聞きなさい。
:9 さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎ二頭を私のところに取っておいで。私はそれで父上のお好きなおいしい料理を作りましょう。
:10 あなたが父上のところに持って行けば、召し上がって、死なれる前にあなたを祝福してくださるでしょう。」
:11 しかし、ヤコブは、その母リベカに言った。「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私のはだは、なめらかです。
:12 もしや、父上が私にさわるなら、私にからかわれたと思われるでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになるでしょう。」
:13 母は彼に言った。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」
:14 それでヤコブは行って、取って、母のところに来た。母は父の好むおいしい料理をこしらえた。
:15 それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった兄エサウの晴れ着を取って来て、それを弟ヤコブに着せてやり、
:16 また、子やぎの毛皮を、彼の手と首のなめらかなところにかぶせてやった。
:17 そうして、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブの手に渡した。
:18 ヤコブは父のところに行き、「お父さん。」と言った。イサクは、「おお、わが子よ。だれだね、おまえは。」と尋ねた。
:19 ヤコブは父に、「私は長男のエサウです。私はあなたが言われたとおりにしました。さあ、起きてすわり、私の獲物を召し上がってください。ご自身で私を祝福してくださるために。」と答えた。
:20 イサクは、その子に言った。「どうして、こんなに早く見つけることができたのかね。わが子よ。」すると彼は答えた。「あなたの神、主が私のために、そうさせてくださったのです。」
:21 そこでイサクはヤコブに言った。「近くに寄ってくれ。わが子よ。私は、おまえがほんとうにわが子エサウであるかどうか、おまえにさわってみたい。」
:22 ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼にさわり、そして言った。「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」
:23 ヤコブの手が、兄エサウの手のように毛深かったので、イサクには見分けがつかなかった。それでイサクは彼を祝福しようとしたが、
:24 「ほんとうにおまえは、わが子エサウだね。」と尋ねた。すると答えた。「私です。」
:25 そこでイサクは言った。「私のところに持って来なさい。私自身がおまえを祝福するために、わが子の獲物を食べたいものだ。」そこでヤコブが持って来ると、イサクはそれを食べた。またぶどう酒を持って来ると、それも飲んだ。
:26 父イサクはヤコブに、「わが子よ。近寄って私に口づけしてくれ。」と言ったので、
:27 ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクは、ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子のかおり。主が祝福された野のかおりのようだ。
:28 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒をお与えになるように。
:29 国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子らがおまえを伏し拝むように。おまえをのろう者はのろわれ、おまえを祝福する者は祝福されるように。」
:30 イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くか行かないうちに、兄のエサウが猟から帰って来た。
:31 彼もまた、おいしい料理をこしらえて、父のところに持って来た。そして父に言った。「お父さんは起きて、子どもの獲物を召し上がることができます。あなたご自身が私を祝福してくださるために。」
:32 すると父イサクは彼に尋ねた。「おまえはだれだ。」彼は答えた。「私はあなたの子、長男のエサウです。」
:33 イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう。」
:34 エサウは父のことばを聞くと、大声で泣き叫び、ひどく痛み悲しんで父に言った。「私を、お父さん、私も祝福してください。」
:35 父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ。」
:36 エサウは言った。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった。」また言った。「あなたは私のために祝福を残してはおかれなかったのですか。」
:37 イサクは答えてエサウに言った。「ああ、私は彼をおまえの主とし、彼のすべての兄弟を、しもべとして彼に与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。それで、わが子よ。おまえのために、私はいったい何ができようか。」
:38 エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。
:39 父イサクは答えて彼に言った。「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。
:40 おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。おまえが奮い立つならば、おまえは彼のくびきを自分の首から解き捨てるであろう。」
:41 エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。それでエサウは心の中で言った。「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。」
序)求めるとき
以前、TDLに行った時の話です。
ミッキーやミニーが現れるときがあります。
するとたちまちそこには人だかりができます。
みんな一緒に写真を撮りたいからです。誰も順番に並ぼうとはしません。
我先に・・・と大変な状況になります。
バーゲンとか福袋とか、そういうときにもそういう光景を見ることがありますね。
人は自分が何かを得たいと求めるときに、なんとかしてそれを得ようとして必死になったり、あるいは奪ったりしようとします。
今日は、この箇所から、イサクを通して与えられようとしていた神様の祝福について、その家族の出来事から共に教えられたいと思います。
1.祝福を求めて
イサクはエサウを祝福しようと考えました。
しかし、それを聞いていた妻リベカは、イサクの祝福をヤコブに受けさせようとしました。
そして、見事その作戦は成功し、ヤコブはイサクから祝福を受けました。
その後、エサウがイサクのもとに戻ってきて、ヤコブがイサクを騙して、その祝福を受けたことがばれました。
そして、エサウは、そのことで、父イサクが死んだら、弟ヤコブを殺そうとまで思うようになっていったのです。
祝福を求めて、命までもかけるような出来事が起こったのです。
現代で言えば、遺産相続争いとでも言えるでしょうか。
実はここでは、リベカの存在が大きな意味を持っています。
創世 25:21 イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。
:22 子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は。」と言った。そして主のみこころを求めに行った。
:23 すると主は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」
:24 出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。
エサウとヤコブは双子でした。リベカはその子が胎内にいるときに、主の言葉を聞いていました。
それが、「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」 という言葉です。
つまり、兄エサウは、弟ヤコブに仕えるという預言的な言葉でした。
ですから、リベカは、その為には神様の祝福が必要不可欠であると考えていたのかもしれません。
だから、イサクがエサウを祝福しようとしたときに、すかさず、ヤコブが祝福されるようにこのような行動に出たのかもしれません。
そして、実際にヤコブの生涯は、祝福されて行きます。
騙してまで得た祝福であったとしても、神の祝福はヤコブと共にありました。
この出来事は、ヤコブの生涯にとって非常に大きな意味を持つものであったのです。
いや、その後の子孫にとってもとてつもなく大きな意味を持つものであったのです。
それほど、神様の祝福というのは偉大なものであることがわかります。
2.目に見えないもの
さて、イサクがヤコブに祈ったその祈り、祝福は目に見えないものです。
遺産相続であるなら、実際に物であったり、お金であったり、目に見える形で受け継がれます。
しかし、目に見えないものであるのに、命をかけてまでそのような行動にでたのです。
イサクの言葉にその意味が見て取れます。
:35 父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ。」
:36 エサウは言った。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった。」また言った。「あなたは私のために祝福を残してはおかれなかったのですか。」
:37 イサクは答えてエサウに言った。「ああ、私は彼をおまえの主とし、彼のすべての兄弟を、しもべとして彼に与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。それで、わが子よ。おまえのために、私はいったい何ができようか。」
:38 エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。
目に見えないものであり、その言葉で発するならば、祝福の言葉を語ることはできたはずです。
それでも、それはもうないことを言っています。
イサクもリベカもエサウもヤコブも知っていたのです。
その祝福は口先だけのものではなく、そこには本当に神様の存在があることを。。
私たちが祈るとき、それは口先だけになっていないでしょうか。
イエス様の御名によって祈る祈りは、そこに神様が存在されるのです。
だから、聞かれるのです。もちろん、それは私たちにその信仰があるならば・・です。
目に見えないものだからといって、軽視してはならないのです。
逆に、目に見えるものよりも偉大なものだからです。
私たちもまた、目に見えない神様を信じており、その方を信頼し、その方に礼拝をささげ、その方に祈り、その方を愛しています。
そして、実際にそこには大きな力が働いています。そうです。そこに神様が存在されるからです。
ヤコブもそのことを知っていたので、その生涯で神の祝福を受け継いだものとして、祝福を現実に受け、そしてその子孫にまで影響していったのです。
私たちもまた、神様の祝福の偉大さを認識し、その祝福を受ける生涯を送りたいですね。
結)祝福からはじめる神様の祝福は目には見えないものであるかもしれません。
しかし、その祝福を受けてスタートするならば、それはなんと素晴らしいことでしょうか。
年の初めに、週の初めに、日々の初めに、神様からの祝福を受けておられるなら、それはあなたが思っている以上に素晴らしい大きな意味をもつものであることを知りましょう。
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そして、その最大の祝福であり、恵みは、魂の救いです。
人はみな罪人です。それは私もあなたも例外はないのです。
罪とは、神様を認めず、そのお方に背くことです。
それは、積極的に神様に反論し攻撃することだけでなく、
消極的に無関心で神様に向こうとしないこともです。
しかし、その全ての罪人のために、イエスキリストは十字架にかかられ、その罪を身代わりに受け、罰を受けてくださいました。
私の、あなたの身代わりとなって・・です。
この方を自分の罪からの救い主として受け入れるなら、あなたはその罪の赦しを受けることができます。そして、その魂が救われて、その死後に用意されている裁きから救われ、天国に行くことができるのです。
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この大きな祝福を受けてスタートしたクリスチャン生活もまた素晴らしいスタートを切っているのです。
それもまた、目には見えない救いでしたが、大きな意味を持つものです。
是非、年の初めの月、神様の祝福を十分に受け取ってスタートしたいですね。
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