08.1.27「愛から始まる」
創世 29:9-20
:9 ヤコブがまだ彼らと話しているとき、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女は羊飼いであったからである。
:10 ヤコブが、自分の母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石をころがし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。
:11 そうしてヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。
:12 ヤコブが、自分は彼女の父の親類であり、リベカの子であることをラケルに告げたので、彼女は走って行って、父にそのことを告げた。
:13 ラバンは、妹の子ヤコブのことを聞くとすぐ、彼を迎えに走って行き、彼を抱いて、口づけした。そして彼を自分の家に連れて来た。ヤコブはラバンに、事の次第のすべてを話した。
:14 ラバンは彼に、「あなたはほんとうに私の骨肉です。」と言った。こうしてヤコブは彼のところに一か月滞在した。
:15 そのとき、ラバンはヤコブに言った。「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもなかろう。どういう報酬がほしいか、言ってください。」
:16 ラバンにはふたりの娘があった。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。
:17 レアの目は弱々しかったが、ラケルは姿も顔だちも美しかった。
:18 ヤコブはラケルを愛していた。それで、「私はあなたの下の娘ラケルのために七年間あなたに仕えましょう。」と言った。
:19 するとラバンは、「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」と言った。
:20 ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。
序)ラバンのもとに到着したヤコブ
先週の続きで、ヤコブは母リベカの兄ラバンのもとへ旅を続けて、ようやく到着しました。
そして、出会うことができたのです。
そして、そこに滞在し、1ヶ月が過ぎたとき、ラバンはヤコブに提案しました。
「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもなかろう。どういう報酬がほしいか、言ってください。」と。
そこで、ヤコブは、娘ラケルを愛していたので、ラケルのために7年間仕えることを約束しました。しかし、ヤコブはラケルを愛していたので、その7年もほんの数日のように思えたようです。
今日はこの箇所から、愛から始まるときに大きな力が発揮されることを共に見ていきましょう。
1.愛から始まるとき
ヤコブは、ラケルを愛していたので、7年間もラバンに仕えることができました。
また、それはほんの数日のようにおもわれたのです。
愛から始まるとき、、
①仕えることができる
愛から始まる、愛している、なら、仕えることができるのです。
子供が産まれると、子供に仕える生活が始まります。
ミルクを与え、オムツを替え、風呂に入れ、遊んであげ、掃除、洗濯、、、ありとあらゆることで、子供に仕えます。
でも、親はそれをすることができます。
なぜなら、愛しているからです。
生まれる前から、愛していたからです。
愛から始まっているからです。
そこそこ大きくなったからといって、仕えることが終わるわけではありません。
立派に成長し、大人になるまで、子供に仕えることは続くのです。
勿論、子供が悪いことをして、しかることもあるでしょう。イライラすることもあるかもしれません。
でも、それもこれも、みな子供を愛するゆえです。
愛しているから、仕えることができるのです。
ヤコブは、ラケルを愛していたので、ラケルを妻とすることができるということで、その愛ゆえに7年間仕えることが苦にならなかったのです。
愛から始まっていたので、仕えることができたのです。
イエス様もまた、私たちを愛し、弟子たちを愛しておられたので、仕えて下さいました。
人々を癒し、慰め、励まし、教え、弟子たちの足を洗い、十字架の死に至るまで従順になられ、仕えて下さいました。
愛から始まるとき、愛しているとき、仕えることができるのです。
愛から始まるとき、、
②忍耐することができる
愛から始まる、愛している、なら、忍耐することができるのです。
子供の成長は時間がかかるものです。当然です。
最初の一週間さえ、ミルクをやり、オムツを替え、風呂に入れてお世話さえすれば、あとは放っておいても大丈夫・・・なんてことはありません。
大きくなれば、手が離れてくれて、楽になるなんてこともありません。
それぞれの月齢、年齢に応じて、仕える形は違いますし、大変である内容も違いますが、手が掛かるのです。
ヤコブはラケルを愛していたので、7年間も仕えたのに、数日のように思えたようです。
耐え忍んで長く感じたのではなく、数日のように思えたのですから、ものすごい忍耐力が発揮されたといえるのではないでしょうか。
愛の力はなんと大きいのでしょう。
イエス様は、30歳で自らを公にされるまで、罪人の人々の中で忍耐して、時を待ち続けられました。
3年半といわれているその後の生涯の中でも、弟子たちに対しても忍耐されることもしばしばでした。
また、十字架を担っていかれたときも、架かられた時も、途中でやめることをなさらず、最後まで、その死に至るまで忍耐されたのです。
そして、今もまた、人々が罪の中にいますが、一人でも多くの人が救われるために、全ての人が救われてほしいと願い、忍耐しておられるのです。
それらは、イエス様の愛のゆえです。
愛から始まるとき、愛しているとき、忍耐することができるのです。
結)愛からスタート愛から始まるとき、仕えることができます。
愛から始まるとき、忍耐することができます。
大きな力が発揮されるのです。
実は愛から始まるときに、それだけではなく、いろんな力を発揮することができるのです。
さて、この愛はどこにあるのでしょうか。
ヤコブは、ラケルを愛しました。これは男女の愛です。
特定の人を愛したゆえ、ラケルのために、仕え、忍耐することができたのです。
全ての人に対しては、無理です。
でも、イエス様は私たちを愛してくださっている。そしてそれは、全ての人を愛してくださっているということです。
全てのことを愛から始めるために必要なのは、イエス様の愛です。
イエス様から愛をいただき、イエス様の愛で始めるなら、いろんな力が発揮されるのです。
このイエス様の愛からスタートできるなら、幸いです。
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