08.11.2「本物を得るために」
黙示録 3:14-22
:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
:15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
:16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
:22 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」
序)ラオデキヤの教会へ
7つの教会へシリーズ最終章、第7弾です
真実で、忠実で、全ての根源であるイエス様がここでも語られています。
21節では、勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。とまで言われています。
そのようなものとなるために私たちに語られている言葉を共に見て、勝利を得る者に預かれるようになりたいですね。
見て行きましょう。
1.中途半端にならない :15-16
:15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
:16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
冷たくもなく、熱くもない、なまぬるいから、主は口から吐き出すといわれる。
神様の前に中度半端な態度や行動等を戒められているのではないかと思います。
冷たくもなく、熱くもないというのは、どうしようか決めずに、どちらも中途半端な気持ちでやることということなのだと思うのです。
あなたの置かれた環境がどうであっても、その中で、精一杯行動することを神様は求めておられるのではないでしょうか。
それを中途半端に、どちらにもつかないような理由をつけて、何に対しても中途半端に手を出しながらも責任はとらないような行動をとっていないでしょうか。
そうであっても、私は責めるつもりもないですし、責められることでもないかもしれませんが、イエス様はそんなあなたを口から吐き出すと言われるのです。
熱いか冷たいかである者となることを主は願っておられるのです。
中途半端な信仰ではなく、中途半端な行動ではなく、神様の前にはっきりとした信仰を持ち、行動をしていきたいですね。
2.神から買う :17-18
:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
本当に必要なものは、神様からしか得ることができない。
最近、テレビ番組では、「誰も知らない泣ける歌」とか、「エチカの鏡」とか、何か心に感動を得ることができるような内容を提供する番組が少しずつ増えてきたように感じます。
これも時代なのか、経済大国である日本も、金融危機だとか言いながらも、食べるものも食べられないという人がそんなにたくさんいる国であるわけでもなく、裕福になったと思っていても、心に何か空白を感じる人が増えてきているのではないか、その表れがこの流れなんじゃないかと思ったりしたのですが、私の考えすぎでしょうか。
実際に、私は富んでいる、豊かになったと思っている人が、実は、その内側には、満足もなく、何か虚しさが残っているように感じている人はたくさんいるようです。
しかし、神様は言われるのです。
実はあなたは、みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者だ・・と。
そして、それを解決する方法も言われています。
「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」
私たちが本当に必要なもの、心の内側に必要なものは、神様から買わなければならないのです。
買うといっても、別にお金が必要なんじゃありません。
買うとは、何か代価を支払って得ることです。
火で精錬された金を、白い衣を、目薬を、代価を支払って得るのです。
それを買うことができる場所は、感動する話の中ではなく、ましてやテレビ番組でもなく、神様なのです。
私たちの心が本当に必要としているものは、神様から代価を払って買うのです。神様のところにしかないのです。
そして、その代価をイエス様はすでに支払ってくださっています。
だから、私たちは「救い」を得ることができます。素晴らしいことです。
さらに私たちがあらゆる良いもので満たされたいなら、世の中に求めるのではなく、神様から買う必要があります。世の中に求めて得ることができる豊かさは偽ものです。それに惑わされている人がなんと多いことでしょうか。
神様から買うために、私たちは信仰の苦難を通ることがあります。でも、それによって、神様から本当の豊かさを買うことができます。
私たちは、神様から本物を買うものとなりたいですね。
結)用意して待ってくださっている神様
:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
そして、これらのことをイエス様は無理矢理押し付けたり、押し売りされる方ではありません。
私たちがそれを求めてくることを待っておられるのです。
そして、私たちがそうするならば、神様は入ってきてくださり、深く交わってくださるのです。
先週予告しましたように、「誰も知らない泣ける歌」に小坂忠先生が紹介され、出演され、「勝利者」を歌われました。
忠先生は、ミュージシャンでありましたが、クリスチャンとなって、日曜は礼拝を守るために、仕事を断るようにされました。
ところが、それによって、一般の音楽界、芸能界では活動する場を失っていかれたのです。
中途半端に神様を信じる信仰を持つのではなく、神様を第一とした生活をするためにそうされたのです。
忠先生自ら、そのようにして、前に向かって進んでこられたのです。そこには、信仰の戦いが多くあったことでしょう。しかし、中途半端にせず、本当の豊かさ、本当の癒し、本当の感動は、神様にあるという信仰を持ってこられた結果、今現在の忠先生があると思います。
私たちもまた、本物を得るために、中途半端にならないようにして、熱くイエス様に従い、イエス様から本物を買うものとなりましょう。
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