2008/09/21

08.9.21「神ご自身が・・・」

1ペテロ5:6-11
:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。


序)神様が顕れる人生とは・・

私たちは無力を感じることはありませんか。

いろんなことで、自分の力ではどうしようもないことを経験します。
また、感じることは多い。
タバコや酒。仕事。選挙。天気・・?

また、普段の生活の中でもそんなことを感じること、体験することはあるんではないでしょうか。
それは、なぜでしょう。
答えは簡単です。
「私たちにはその程度の力しかないからです」
でも、失望することはありません。
神様が私たちの人生に、生活に、介入してくださるなら、自分の力の無力さを体験すると同時に神の力強さを体験することでしょう。

あなたは、神様の力が顕れる人生、神様が力を発揮して下さる生活を歩みたいですか?

神ご自身が力を現して下さるには、私たちはどうすべきなのか。

3つ、みましょう。


1.へりくだる。:6

:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

神の力強い御手の下にへりくだるのです。

まずは、自分の無力を自覚しましょう。
もちろん、私たちにできることもあるでしょう。
そのことを否定する必要はありません。
でも、ある領域になると無力を感じてしまったりします。
また、神様なんて必要ないと自分だけで何でもできると傲慢になったりすることがあるとすれば、それは高ぶりですね。
その高ぶった心でいるのではなく、へりくだりなさいといわれているのです。
神の力強い御手の下に・・・

私たちは限界のある力の弱いものですが、神様は力強い御手の方です。
だから、この方のもとにへりくだることが私たちのなすべきことです。

神様の前にへりくだるとき、神様はわたしたちを時にかなった時に高くして下さるのです。
それは高ぶらせたり、高ぶるためにではなく、私たちを立たせるためです。

ルカ 14:8 「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。
:9 その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。
:10 むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。

とイエス様ご自身がたとえを話されています。

神様の前にへりくださるときに、”神様が”高くして下さるのです。

自分から高くなろうとするんではなく、へりくだることによって神様に高くしていただくものになりたいですね。

これが神ご自身が私たちの中に力を現して下さる道です。


ふたつめに、

2.ゆだねる。:7

:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

私たちはいろんなことで思い煩うようなことに遭遇するでしょう。
そんな時に、その思い煩いを一切神にゆだねなさい、と言われるのです。

思い煩いとは、どういうものでしょうか。
これは、自分ではどうしようもできないことが多いですね。

昨日、無事、運動会がありました。
台風が近づいてきて、週間予報では、土曜まで雨で、日曜から回復するような予報が木曜くらいまで表示されていたので、日曜の運動会という覚悟もしていました。
なんとか天気が守られて、運動会を土曜にしてほしいと思っていたのですが、こればっかりはどうしようもありません。
主に祈りつつ、委ねるしかありませんでした。
ジタバタしてもどうしようもできないことです。
それをいつまでも、思い煩って、「雨が降ったらどうしよう・・・」と思い煩うことはどうでしょうか?
私たちには変えられないことがあります。そのことを思い煩ったからといって、天気が変わるわけではないのです。

変えられることもありますね。
わたしは学生の頃、バンドをやっていました。
年に2回くらいだったと思いますが、同好会で会館を借りて、コンサートをしていました。
「間違えないだろうか。ちゃんと演奏できるだろうか・・」と心配しても仕方ないから、ゆだねよう・・・だけではだめです。
間違えないように、練習すればいいんですね。
自分でできることも、変えられることもあります。
でも、当日まで練習してきて、当日を迎えたら、あとはゆだねるしかありませんが。。。

私たちは、自分で努力してできることは努力すればいいんです。
いや、努力しましょう。その力を神様から与えられているんですから。
でも、自分の努力や能力ではどうしようもないこともあるんですね。
その部分についは、神様にゆだねるものになりましょう。
神様を知らない人はゆだねることができませんから、「開き直る」ことをされます。

神様にゆだねる時、神様が心配して下さるのです。

神ご自身が私たちの中に、私たちの人生に、ご自身の力を現して下さるために、私たちの思い煩いを神様にゆだねましょう。


みっつめです。

3.悪魔に立ち向かう。:9

:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。



悪魔は私たちの敵です。
はっきりさせておきましょう。決してだまされてはなりません。
そして、悪魔は全面的な戦争をしようとはしてきません。
ある時は光の天使を装ってやってくるとまで書いてあります。
多くのよいもの、よいことに少しの毒を混ぜてくるように巧みに攻撃してきます。

この敵である悪魔は、私たちを食い尽くそうと捜し求めながら、歩き回っているのです。
その悪魔に対して、神様は「逃げろ」「隠れろ」とはいわれなかった。

「堅く信仰に立って、立ち向かえ」といわれているのです。

私たちの人生の歩みに、神様の力が顕れるために、「悪魔に立ち向かう」のです。

でも、そのために、身を慎み、目を覚ますこと、堅く信仰に立つことがいわれています。

身を慎むことなく、無防備に悪魔の前にでることは危険だからでしょう。

ぼくは自宅で仕事しているので、夏場、内業している時は事務所でエアコンをかけて仕事をしています・・といいたいところですが、できるだけ窓を開けて、冷房は使わないようにして、できる限り・・ではありますが、そうしています。
その代わり、短パンとTシャツ一枚とかで事務所で仕事しています。
出かける時に、着替えて出るんですね。
でも、もし、急に事務所に来客があったら、、、大変ですね^^;
まさに無防備、身を慎んでない状態かも知れません。
ですから、お客さんが来たら、危険です。信用問題になり兼ねません(笑)
といっても、これも以前の話しで今年の夏はそのような格好はしないようにしておりましたが。。

また、寝ている時は無防備になりますから、目を覚ますように言われるのでしょう。
夏は「蚊」の季節ですから、夕方以降は本当に気をつけています。
家の中に蚊が入ってきたら、その1匹の蚊で被害者が続出し、その被害は何日も続く可能性があるからです。
特に寝る部屋は気をつけています。
寝ている時に、蚊がいたら、あまりにも危険ですよね。
目を覚ましているか、蚊をやっつけるしかありません。

また、フラフラしていると怪我したりするように、堅く信仰にたっていないと危険なのでしょう。
以前、子供が階段で、フラフラというか、少しふざけていた時に、手摺をもっていたのですが、滑ったのか離してしまい、そのまま落ちたとことがありました。しっかりと堅くたって、踏みしめて階段を昇り降りしていれば、大丈夫ですが、フラフラとしていると危険ですね。

でも、聖書が言っているのは、このような肉体のことではなく、霊的なことです。

身を慎むとは、霊的にどんなことでも受け入れてしまうことの危険性を言っているのかも知れませんし、御言葉によって身を慎むことを示しているのかも知れません。

目を覚ましているとは、祈っていることを示しているのでしょう。
ゲッセマネでイエス様が祈られた時、弟子達は寝てしまいました。その時、イエス様は目を覚まして祈っていなさいと言われました。

堅く信仰に立つとは、御言葉という土台の上に立つことでしょう。

敵である悪魔にこのように立ち向かう時に、:10
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった”神ご自身が”、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

神ご自身にそうしていただけるものになりたいですね。
悪魔に立ち向かうものになりましょう。


結)神に支配された人生
:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
神様が私たちの人生に顕れて下さり、私たちの力ではなく、神ご自身の力によって、神ご自身が私たちを高くし、心配し、完全にし、堅く立たせ、強くし、不動のものとしてくださるということは、神に支配された人生ということができるでしょう。
神の支配が私たちの人生にあるならば、このような素晴らしいことが起こってくるのだということと言えるのです。
そのような素晴らしい人生を歩む人は幸いです。