2010/01/03

10.1.3「すべてのはじまり」

新年あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします


創世記1:1-5
:1 初めに、神が天と地を創造した。
:2 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
:3 神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
:4 神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。
:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

口語訳
:1 はじめに神は天と地とを創造された。
:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。


序)はじまりはとても大切です。始まりがなければ、プロセスもないし、終りもない。
やはり始まりはとても大切です。
今日は2010年最初の礼拝です。とても大切です。でも来週も再来週も大切です。そう、プロセスも大切ですから、そして12月26日の2010年最後の礼拝も大切です。終りも大切ですから(笑)
でも始まりがあっての全てです。

というわけで、今日は聖書の一番最初、わたしたちの歴史の始まりである、創世記1章1節を見て行きましょう。

神様ははじめに何をされたでしょう?

1.天と地を創造した。

①天を創られた。
天は、希望を意味するのではないでしょうか。天国への望み、天へ向かう永遠の思い、天・目標や目的に向かう希望。。。
私達は希望なしには生きていくことはとても虚しく困難かも知れません。
神はまず天を創られました。希望を私達に創って下さいます。
聖書を通して私達に希望を与えて下さいます。
また、私達のうちに神様が働きかけて、希望を与えて下さいます。

ピリピ 2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせる のは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

神様は聖書という神の言葉によって、また私達のうちに働きかけることを通して、希望を与えて下さるのです。
私達もイエス様に希望を創っていただきましょう。


②地を創られました。
地は土台を意味するのではないでしょうか。
砂の上に家を建てた人と岩の上に家を建てた人の譬が聖書にでてきますが、まさにそこは「地」です。
私達は岩の上に家を建てたいですね。
神様が創られた土台を私達の土台としたいです。
まさに「聖書=イエスキリスト」がその土台です。
土台がなくして「希望」の実現もありませんし、希望をなくして土台が活きることはありません。
土台をどんなにしっかりと作っても上に家をたてなければそれは何の意味があるのか?と疑問に思います。また、土台をしっかりと据えずに家を建てるならば、その家は長くは持たないでしょう。
欠陥住宅とは、土台が問題であるときに最初からやり直すしか直す方法はりません。土台が本当にいい加減だと傾いてしまったりもします。

Ⅰコリント3:10-11
:10 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。:11 なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。


私達も揺るぎ無い土台を作りたい。私たちがイエス様を土台とするならば、その土台は揺るぎ無い土台です。

イエス様を賛美し、イエス様を礼拝し、イエス様に祈り、イエス様と交わり、イエス様に聞き、イエス様に満たされて行く時に、土台であるイエスキリストを据える作業をしているのです。
土台は大きければ大きいほど、しっかりしていればしっかりしているほど、大きな高い建物を建てることができます。
そのために時間をかけることもあるかもしれません。でも時間が短くてもイエスキリストが土台であるなら、それはパーフェクトです。
そして、その上に家を建てていくのです。希望に向かって。。。

私達は神様が最初に創造された天と地、希望と土台を正しく健全に持ちたいと思います。聖書によって、イエス様によって、、、


さて、ここでひとつ気を付けておきましょう。


2.神の霊が水の上を動いていた。

:2 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。

口語:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

私達が希望を持ち、土台を据え、スタートするとき、中には明るい状態じゃない場合もあるでしょう。そのプロセスの中にはそのようなことも待っているかもしれません。
創世記の最初もそうだったようです。しかしその中でも神の霊がおおっていたと書いてあります。そう、わたしたちがどんな状態の時も神の霊がおおっているのです。
ですから、神がおられないと感じるような時も神の覆いのなかにいることを覚えましょう。
そうじゃないと、希望と土台だ!といってスタートしてもつまづいてしまうような時があるかも知れません。でも、そんな時にも神がおおいとなって下さっていることを知っているならば、その希望を捨てることはしません。もし土台が不十分だと思うなら、まずはしっかりと土台作りをすればいいんです。

神が全てを支配しておられることを覚えましょう。そうするならば、神様はその後に「光あれ!」と言われることでしょう。
そして、神はその光を見てよしとされるのです。


結)私達は希望と土台をイエス様によって創っていただきましょう。
でも、それらは、喜ばしいものばかりではないかも知れません。その時も神の霊がおおってくださっているのです。
そのことを忘れずにいましょう。いずれ神は光あれと宣言し、わたしたちに素晴らしいものを見せて下さるに違いないのです。
年の最初の礼拝に、イエス様を礼拝し、スタートできるこの恵みを感謝します。
そして、今年も聖書を土台に、イエス様を土台に歩んで行きましょう。