2009/12/20

09.12.20「クリスマスの本当の意味」

ルカ2:8-14
:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
:12 あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

序)本当の意味を知ること
本当の意味を知ることはとても大切なことです。
今日は、クリスマスの本当に意味を知って、あなたにとって、今までと一味違ったクリスマスとな

れば嬉しく思います。

1.クリスマスの本当の意味とは

:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

①あなたがたのために・・・

クリスマスは、だれの為のものでしょうか。
それは、みなさん一人一人のためなのです。

子供達だけの為にサンタさんがきてくれるから、子供達だけのため?
それとも、イスラエルという遠い国の出来事で、その国の人だけのため?
キリスト教のお祭りだから、クリスチャンだけのため?

そうじゃないんです。
あなたがたのため、全ての人のためのものなんです。


じゃあなぜ、私たちのためなのでしょう。
それは、神様が私たちを愛しておられるからです。

ヨハネ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

神はあなたを愛しておられ、素晴らしい人生を送ってほしいと願っておられます。

また、マタイ 11:28 には、
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
とあります。

イエスキリストは、「全て、疲れた人・・」と全ての人に対して、招いておられます。
これもまた、イエスキリストが全ての人を愛しておられることを知る一つの言葉です。
聖書を読んでいくと、神様がいかに私たち一人一人を愛しておられるのかを知ることができます。

だから、クリスマスは、神様が愛しておられるあなたがたお一人お一人のため、全ての人のためのものなのです。
だから、私たちのためにクリスマスがあるのです。


そして、もう一つ・・・

②救い主がお生まれになりました。

クリスマスは、救い主がお生まれになった出来事です。

クリスマスはイエスキリストの誕生日、でもそれは、歴史上のある人の誕生日というよりも、
救い主が地上に生まれた出来事そのものであるといった方が正しいでしょう。

先ほど、神様が私たちを愛しておられるので、私たちの為にクリスマスがあることを見ました。
では、そもそも私たちに救い主は必要なのでしょうか。

イエスは、キリストとして、救い主として、生まれたというなら、何を救うために、何から誰を救うために生まれたのでしょう。

それは、罪から私たちを私たちを救うためです。

ローマ 3:10 ・・・義人はいない。ひとりもいない。
ローマ 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。

全ての人は罪人であることを聖書は言っています。

刑務所に入ったことはないかもしれません。
法を犯すようなことをした覚えがないとおっしゃるかもしれません。
素晴らしいことです。

でも、わたしたちは、自分が中心、自分さえよければいいと考えてしまう事はないでしょうか。
自分さえよければ、という自己中心が私たちの心を支配するとき、そのために犯罪を犯してしまうのです。
殺人・・自分が死刑になりたいから、人を殺した犯罪者も、自分の事しか考えていない。
盗み・・自分が欲しいものを手に入れる為に、人に被害を与えてでも自分のものにしようとすることは、自分の事しか考えていない。

全て、自己中心のゆえに、犯してしまうことではないでしょうか。
神様は、この自己中心の心を罪であると言われています。
この自己中心の心、罪があるから、いろんな悪いことをしてしまうのです。

では、他者中心に生きるべきなのでしょうか。それも難しいですね。
私たちの心にある自己中心の心を神様におまかせして、神様を心の中心に置く時に、その悪から遠ざかる事ができます。

ですから、わたしたちは、神様に対する反発であっても、神様なんて関係ないという無関心であっても、神様を認めず、神様に背を向ける自己中心が、聖書のいう罪なのです。
罪という言葉には、「的外れ」というギリシャ語が使われています。
神様中心で、神様に向かっていなければならない私たちの心がその的から外れた方向に向いている状態をさしているのでしょう。

そのため、私たちは神様と離れてしまい、神様の存在もその愛も知ることができないのです。
この間を橋渡ししてくれるのが、「救い主」です。

でも、罪を持ったままでも死んでしまえば、それで終りなんじゃないの?
いいえ、聖書には、
「人は一度死ぬ事と、死後裁きを受ける事が定まっている」とあります。
人は、必ず死にます。しかし、それで終りではないのです。
その魂の行き先があるのです。それが天国と地獄です。
罪から救われていない人、罪の許しを受けていない人は、地獄です。
でも、罪から救われている人は、天国です。
これは、宗教的な話しではないのです。全ての人に向けた神様からのメッセージです。

そうです。私達には「救い主」が必要なんです。


クリスマスの本当の意味とは、

「あなたを愛しておられる神様が、
 救いを必要をしているあなたのために、
 救い主として地上にお生まれになった。」



結)あなたも救われて、神の愛を知る

実際にイエスキリストは、その生涯の最後に十字架で死なれました。
これは、私たち人類の罪の身代わりとして死なれたのです。

ローマ 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

全ての人が罪人であることをお話ししました。
罪人が罪人の罪の身代わりになることはできません。
罪のない人じゃないと身代わりにはなれないのです。

イエスキリストは、クリスマスに生まれられ、罪を犯すことなくその生涯を送られ、
その生涯の最後に罪のない人として、罪の身代わりとしてその罰を受けられたのです。

イエスは言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 」

イエスキリストを通してでなければ、神様との関係を回復することはできません。
私も罪人です。でも、イエスキリストを信じたときに、罪が許されるのです。
だから今は罪許された罪人なのです。

クリスマスの本当の意味を知りました。
それは素晴らしいことです。でも、もっと素晴らしいことは、自分にも救いが必要である事に気付き、救い主の救いを自分のものにすることです。

イエスキリストがあなたの罪の身代わりとして死んで下さったのに、それを受け入れないでいるなら、せっかく救いが用意されているのに、救われません。
イエスキリストを受け入れ、その愛を受け入れる時に、あなたは救われ、あなたはその愛を知ることができるのです。

今日、このキリストを受け入れる時に、あなたにとって、本当の意味でのクリスマスを体験することでしょう。
それは、天国への切符を手に入れることでもあります。

祈りましょう。
「イエス様、クリスマスの本当の意味を聞きました。聖書や、イエスキリストについてもっと知りたいです。悟ることができるようにしてください。
また私は、イエスキリストを罪からの救い主として必要としています。
イエスキリストが私の罪の為に十字架で死んで下さってありがとうございます。
私は今、イエスキリストを罪からの救い主として、お迎えいたします。
私の罪を許して下さい。私の心の中心で私の人生を導いて下さい。
イエスキリストのお名前によってお祈りします。アーメン」