2009/06/21

09.6.21「天の父の思い」

マタイ5:43-48
:43『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
:44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
:45それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
:46自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
:47また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
:48だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。

序)父の日です。
父の日は、もともと母の日ができたので、あとでとってつけてできたようなものだそうですが、
母の日がお母さんに感謝を表すときであるなら、父の日もまたお父さんに感謝を表すときであるべきですね。
さらには、この機会に父というものをもう一度意識することができるならそれもまた素晴らしい事だと思います。

今日は、この箇所から、天の父である神様との関係について、ともに見ていきましょう。

1.天の父の性質

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられる父の子どもになれる、と言われています。
しかし、とても難しい事のように感じるかもしれませんし、実際に難しいかもしれません。

敵とは、自分に害を加えてくるかもしれないものです。でも、その敵を愛せよというのです。
迫害する者とは、実際にいろんな妨害をしてくるかもしれないのです。でも、その者のために祈りなさいというのです。
祈ることができるのは、その人のことを受け入れていたり、愛していたりしないととても難しいことだと思います。
そのようなことを天の父が私達に願っておられるのです。

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるとあります。
梅雨に入って、先週はあまり雨が降りませんでした。
でも、車で走っていると、ある車の上だけは雨が降っていたりするわけもないのです。
今では長浜も結構な観光地となって、街中も人がたくさん歩いています。
そんな時、ある人の上は晴れていて、ある人の上は雨が、またある人のうえは曇っている、、といったことはないのです。
太陽が昇るときは、そこにいる全ての人の上に同じように上ります。
雨が降るときはそこにいる全ての人に注がれます。

また、
「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。」
と言っています。
自分を愛してくれる人を愛する事はある意味簡単かもしれません。
自分の兄弟だけにあいさつしたからといって、それは何もすごいことではありません。
それらは、ほとんどの人ができることであるし、している事なのです。

天の父は、それらの人も含めて、全ての人を対象としておられるのです。
天の父は、相手がどんな人であっても、同じ恵みを注いでおられるのです。

これは、何かに似ていませんか。
そう、救いの福音です。
イエス様は十字架に架かって私達全ての人のために身代わりとなって命を捨ててくださいました。
全ての人は、このイエス様の救いを受け入れるときに、救われるのです。
その人が敵であっても、見方であっても、迫害する人であっても、良い行いをする人であっても、悪いものであっても、、、です。
どんな人であっても、信じるなら、救われるのです。
同じ恵みが注がれています。

これが天の父なる神様の性質なのです。
そして、天の父なる神様の思い、願いは、全ての人がこの救いに預かってほしいということです。

普通、父親は(母親であっても)、子どもがどんな子であろうと受け入れ、愛し、生きて育ってほしいと願うものです。

天の父なる神様は、それ以上に私達に対してそのように願い、愛しておられるのです。


2.天の父のように

:48だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
とあります。

天の父は、私達がどんなものであっても、私達を愛し、救いを用意してくださっています。
そして、救われた私達に対して、神が愛してくださったように、どんな人をも愛するように言われています。
そのために、神は、私達に聖霊を与えてくださいます。

ロマ5:5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

その聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれるのです。
その神の愛によって、私達もまた愛することができるようになるのです。
愛する事ができないなら、受け入れる事ができないなら、聖霊を求めましょう。神の愛を求めましょう。
その時に、神がそうであられるように、私達も愛する事ができるものへと変えられていくのです。

そして、天の父が完全なように、完全なものへと変えられていくのです。

2コリント3:18
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

栄光から栄光へと主と同じかたち、即ち完全へと霊の姿が変えられていきます。

そのように、求め、天の父に近づき、天の父のように完全へと変えられていくなら幸いです。


結)天の父の思い
天の父は、私達がどんなものであっても、私達を愛し、私達に救いを用意されました。
そして、救われてほしいと願っておられます。
あなたはこの天の父なる神様の愛を受けているのです。気付いていないかもしれませんが、確実に注がれています。
あなたは、神の愛からくるこの救いを受けておられますか。受けましょう。
そして、救いを受けた私達は、天の父なる神様が完全であるように、主と同じ姿に完全になるように、聖霊を受け、神の愛を注いでいただき、変えられて行きたいと願います。
それが天の父の私達に対する思いです。
今日、この父なる神様の思いに応答する人は幸いです。