07.5.27「今日、主を信頼する」
出エジプト16:9-31
:1 ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。
:2 そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。
:3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
:4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。
:5 六日目に、彼らが持って来た物を整える場合、日ごとに集める分の二倍とする。」
:6 それでモーセとアロンは、すべてのイスラエル人に言った。「夕方には、あなたがたは、主がエジプトの地からあなたがたを連れ出されたことを知り、
:7 朝には、主の栄光を見る。主に対するあなたがたのつぶやきを主が聞かれたのです。あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったい私たちは何なのだろう。」
:8 モーセはまた言った。「夕方には、主があなたがたに食べる肉を与え、朝には満ち足りるほどパンを与えてくださるのは、あなたがたが主に対してつぶやく、そのつぶやきを主が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろうか。あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主に対してなのです。」
:9 モーセはアロンに言った。「イスラエル人の全会衆に、『主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたから。』と言いなさい。」
:10 アロンがイスラエル人の全会衆に告げたとき、彼らは荒野のほうに振り向いた。見よ。主の栄光が雲の中に現われた。
:11 主はモーセに告げて仰せられた。
:12 「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」
:13 それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。
:14 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。
:15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。
:16 主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」
:17 そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。
:18 しかし、彼らがオメルでそれを計ってみると、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。
:19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」
:20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。
:21 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。
:22 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、
:23 モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。』」
:24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。
:25 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません。
:26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」
:27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。
:28 そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。
:29 主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」
:30 それで、民は七日目に休んだ。
:31 イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
マタイ6:33-34
:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
序)
イスラエルの人々は、エジプトから解放され、主の導きによって守られ、進んでいったのですが、シンの荒野に入った時に、主に対してつぶやきました。
こんな荒野で飢え死にするくらいなら、エジプトにいて、肉なべを食い、パンをたくさん食べているときに死んだ方がよかった・・・と。
海が分かれて、そこを通って、エジプト軍からも守られて、主のすばらしい御業を見て、主の偉大さ、素晴らしさ、主が導いておられること、主に信頼することを学んだはずの人々が早くもこんなことを言っているのです。
エジプトを出て、2ヶ月目の15日ですから、正月に出て、2月中ごろでしょうか。
私たちも弱さを持っていますから、年の初めに、「今年は○○をするぞ!」とか、「今年はこんな年にするぞ!」とかいろいろと希望を持ったり、目標を立てたりしても、2月半ばくらいになると、忘れていたり、既にあきらめたり、することもあるかも知れません。
主は人間がそのような弱さを持っていることもご存知で、何度でも主に信頼すること、主に目を向けることを教えておられるのかもしれませんね。
この聖書の箇所から、イスラエルの人々が学んだと思われること、わたしたちが学ぶことができることを教えていただき、神様からの生けるパンとして受け止めいただきたいと思います。
1.神様の満たしは完全
神様は、人々のつぶやきを聞いて、マナを与えました。
この「マナ」は、毎朝、収穫できるように与えられ、6日目だけは二日分が与えられました。
それぞれが家族の人数分づつ取って、その日の内に食べたのですが、次の日の為に残しておくと、虫がわき悪臭を放ったとあります。
しかし、6日目に二日分取って、次の日に残した時は大丈夫でした。
また、7日目の朝にはマナは降りませんでした。
神様はその日その日の必要を完全に満たされるお方です。
それは余ることもなく、不足することもなかったのです。(:18)
神様は毎朝、マナを与えられる、日ごとにその日その日に必要な糧を与えられるのです。
そして、それは日が熱くなると溶けてなくなるのです。
私たちがどうであっても、神様の用意されている満たしはいつも完全なのです。
これは、150%ということではなく、必要を100%満たされるということなのです。
2.神様を信頼する
主はこのようにして、主に信頼することを再度、教えられました。
しかし、イスラエルの人の中には、今日はあっても、明日の朝はないかもしれないと思ったからでしょうか。
次の日まで残しておこうとした人がいたのです。
でも、虫がわき悪臭がしたのです。
これは、主を信頼していないが故の行動ではないでしょうか。
主が毎日与える、毎日一日分を集めよ、といわれているのに、次の日まで残そうとしたり、
6日目には2日分とって残せばいいから、7日目は取りに出るなといわれているのに、取りに行ったり、主を信頼しないから、こんな行動になるのでしょう。
私たちはどうするのでしょう。
主を信頼しましょう。
自分の知識や経験だけに頼ってしまってはいけません。
箴言 3:5-6
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
心を尽くして主に信頼し、より頼むのです。
自分の常識だけで判断するなら、それは主の介入する余地はなくなるのではないでしょうか。
どんな時も主を認めて、主により頼むならば、主があなたの道をまっすぐにされ、導かれていくのです。
心から主に信頼するものになりたいですね。
でも、それもなかなか難しく感じることも感じる時もあるでしょう。
では、主を信頼するものとして私たちはどうすればいいのでしょうか。
結)今、できること、すべきこと
今できること、今すべきことを今すればいいのです。
マタイ6:33-34
:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
イスラエルの人々は、毎朝、マナを1日分だけ集めること、6日目だけ2日分集めることをすれば良かったのです。
そのことをすることによって、イスラエルは、荒野にいた40年間、主の満たしを受け、養われていったのです。
私たちも、今日すべきことをできることを今日やりましょう。
労苦はその日その日に十分ある、とイエス様も語られました。
それなら、できるのではないでしょうか。
明日、明後日、来週、来月のことばかり心配していても、今日の労苦は解決しません。
今日やるべきことをやりましょう。
これは、別に先のことを考えるな、先のことをみるなという意味ではありません。
今日やるべきことがあるのに、先のことを心配して、今日やるべきことをやらないということのないように、という意味や、
今日やるべきことがあるのに、主を信頼していないが故に先のことを心配するのではなく、
主を信頼して、先のことは見ながら考えながらも、主に委ねて、今日やるべきことをしましょう、という意味です。
私たちは、主を信頼し、今日やるべきこと、できることをやっていくなら、幸いです。
毎日はその繰り返しです。
その時に、主は変わらない約束で私たちを養い、導き、その行く道をまっすぐにして、全てを満たして下さいます。
主に信頼し、祈りましょう。