07.5.6「赦された者」
マタイ18:21-35
:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
:23 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。
:24 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。
:25 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。
:26 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。
:27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。
:28 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。
:29 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。
:30 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
:31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
:32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
:34 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。
:35 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」
序)何度まで赦す?
「もう、何度言ったらわかるのっ」
と子供を叱るときによく耳にする言葉ですね。
子供を叱る場合は、躾ということもありますので、当てはまらないかもしれませんが、
人との関係で、何度も同じことをされた時、何度までなら赦せますか?
人によるかもしれないし、内容によるかもしれませんね。
ペテロが、イエス様に尋ねました。
「兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
それに対して、イエス様は、7度を70倍するまで・・と言われました。
最初に注意していただきたいのですが、これはあくまでも赦す側からのものです。
みなさんはご自分をペテロの立場に置いて聞いてください。
罪を犯した兄弟の立場に自分を当てはめて、
「何度罪を犯しても、赦してもらえるから、罪を犯しても大丈夫だ」などと思ってはいけません。
では、順に見ていきましょう。
1.赦しを与えられる
かわいそうに思って、赦された。
しもべは主人に対して、1万タラントもの借金がありました。
今の金額で言えば、いくらくらいでしょうか。
1万タラントは、6000デナリに相当するということですから、
6000万デナリですね。
1デナリは、当時の1日の労賃に相当するということですから、
日当1万円なら、6000万デナリは、6000億円、
日当5千円なら、3000万デナリで、3000億円、
ということになります。
恐ろしい額の借金ですね。どうやったらそんな借金できるのでしょうね。
というか、この主人はすごい金持ちなんですね(笑)
まあ、これはたとえ話ですから、それほど大きな借金であることを心に留めてその先の話を見ていきましょう。
このしもべは、「どうか猶予を・・・」といって懇願したようです。
すると主人はかわいそうに思って、しもべを赦し、借金を免除したのです。
普通なら、かわいそうに思っても「仕方ない。もう少し待ってやろう・・」というところです。
しかし、待つのではなく、免除してしまったのです。
なんという赦しでしょうか。
こんなにも大きな借りであっても、哀れみをかけ、赦し、帳消しにしてくださるというこがここでのメッセージです。
この例話は、ペテロの質問からはじまっていることを思い出しましょう。
ペテロの質問は借金のことでしたか。
そうじゃないですね。「罪」についてでした。
「罪」を犯したときにどれだけ赦せばいいのか、というものです。
それに対するイエス様の言葉の一部なのです。
そのことを踏まえてここを読むと、この莫大な借金は、大きな罪を意味するものと思われます。
私たちは、神様の前に自分では支払いきれないほどの大きな罪を持っています。
あなたは人を殺しことはないかも知れない。
盗んだこともないかもしれない。
・・・あ、ちなみにぼくは万引きをして捕まったことがあるし、キセル乗車をしたこともあり、罪を持っていることは自覚していますが。。。
しかし、イエス様は心の中で犯したことも罪であると言われました。
また、偽証してはならないとありますから、嘘をついたことがあるなら、それもまた罪です。
そして聖書には、
「義人はいない。ひとりもいない。」ローマ 3:10
とあるように、全ての人は罪人であると書かれてあります。
そして、その罪がどれほど大きなものであっても、赦してくださる方は、この主人であり、
つまり神様なのです。
その神様は、何もしないのに赦してくださるのでしょうか。
その赦しの根拠として、ひとり子キリストを遣わし、十字架によって、私たち人類の身代わりとなって罰を受けてくださったのです。
このイエスキリストを自分の救い主をして受け入れるときに、私たちは罪が赦されるのです。
イエス様を罪からの救い主として受け入れられているなら、あなたは罪人であっても、
「罪赦された罪人」となっているのです。
ここで、しもべは、借金を背負っているもの、つまり債務者でした。
しかし、主人のあわれみによって、「借金を免除してもらった債務者」となったのです。
あなたは、借金の免除、つまり罪の赦しを受けた罪人でしょうか。
それともまた、借金の返済がある、罪の赦しを受けていない罪人のままでしょうか。
さて、この借金を免除してもらったしもべのその後を見ましょう。
2.赦された者は
赦されたしもべは赦さなかった。
このしもべに100デナリの借金しているしもべ仲間がいました。
今で言うと、100万円とか50万円とかですね。
さっき、6000億円もの借金を免除してもらったしもべは、自分に対して100万円の借金をしているしもべ仲間の借金を免除せず、赦さず、牢に投げ込んだのです。
私たちは、イエス様によって罪が赦されました。
その罪の支払いを免除されました。
さて、その私たちに罪を犯すものを私たちはどうするのでしょうか。
それを赦さないで罰するのでしょうか。仕返しするのでしょうか。
7度までなら、赦すけど、8度目には赦さないのでしょうか。
ここで、赦さなかったしもべに対して、先ほど借金を免除した主人は、どうしたでしょうか。
「『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。」
しもべは、借金をもう一度背負うことになったのです。
そして、イエス様はこう言われました。
「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、
天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」
私たちは、イエス様の十字架によって、罪が赦される道が用意され、罪の赦しを受けることができました。
罪が赦された者である私たちはまた、私たちに対して罪を犯すものを赦すように言われているのです。
主の祈りの中にもありますね。
マタイ6:12
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
神様から罪の赦しを与えられたなら、私たちに罪を犯すものをも赦すべきだということです。
イエス様がペテロの「私に罪を犯すものを7度ゆるせばいいですか」という質問に
「7を70倍・・」といわれたその真意は、
「あなたは、神様からどれだけ赦してもらっているのか、よく考えるべきでしょう。どれだけ大きな赦しをいただいているのかがわかったなら、あなたもまたどれだけ赦してあげるべきかわかるはずだからです・・」ということではないでしょうか。
赦された者は、赦すことができるのです。
結)イエス様は全ての人に赦しを与えられる
私たちはイエス様の十字架の死によって、赦しを受けることができます。
では、私たちに罪を犯す人はどうでしょうか。
その人たちも、イエス様の十字架の死によって、赦しを受ける権利を持っているのです。
私たちだけが赦されるものではないのです。全ての人にその権利があるのです。
その赦しを受け入れているか、まだ受け入れていないかの違いだけです。
感情的には赦せない思いがあることは多いかも知れません。
しかし、その人々をもイエス様は愛し、赦しを受けて欲しい、救われて欲しい、と願っておられるのです。
イエス様がその人をも赦されているのに、なぜ私たちが赦せないと言えるでしょう。
信仰によって、全ての人に赦しを宣言しましょう。
そして、イエス様が赦し愛しておられるのですから、私たちもイエス様に近づくためにも赦し愛することができるように祈りましょう。
聖霊によって、私たちを助け、その信仰に歩ませてくださると信じます。
今日、あなたは、イエス様からの罪の赦しを受け入れておられますか。
まだなら、是非、この素晴らしい恵みを受け入れていただきたいと思います。
既に罪赦された罪人ですか。
それならば、あなたに罪を犯す人を赦しておられますか。
今日、信仰によって赦しを宣言し、聖霊によって助けていただきましょう。
それぞれその一歩を踏み出す人は幸いです。
祈りましょう。
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