2007/04/22

07.4.22「イエス様を知る」

ルカ10:38-42
:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。:40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

序)イエス様が私たちに何をしてほしいと願っておられるか、とか、
聖書では、何をすべきなのか、、、は、今までも聞いてきましたし、
わかってるけど・・・という部分も少なからずあるかも知れません。

祈る、奉仕する、証しする、伝道する、仕える、集会にいく、賛美する、聖書を読む、喜ぶ、感謝する、、、
聖書にはたくさんの行動について、書かれています。

でも、私たちは、これを命じておられる方が、どんな方かを十分に知り、味わい、受け止め、受け入れることが必要であり、そのことの方がはるかに重要であると思います。

マリヤとマルタの話しから、その優先順位がわかります。
マルタは、イエス様をお迎えし、いろいろともてなしをしようとしていました。
それも素晴らしいことです。大切なことでしょう。
でも、イエス様はそんなマルタよりも、何もせずにイエス様のみもとに座って、御言葉を聞き入っていたマリヤの行動の方が良いほうを選んだと言われました。
これから何を教えられるでしょうか。
イエス様のために何かをすることも大切ですが、
それ以上にイエス様のこと知ろうとすることの大切さ、その優先順位のほうが上であることを教えられているのではないでしょうか。

勿論、何もしなくていいというわけではありません。
優先順位のことです。
働かなかったら、食べていけないし、、、ね^^;


さて、「イエス様はどんな方?」
みなさんはどれだけ言えますか?

今朝は楽しくイエス様を味わいましょう。


1.「愛なる方」

アガペーの愛(無条件の愛)で私たちを愛してくださる方です。
新改訳第3版の新約の中に「愛」という言葉は293件あるみたいです。
ちなみに、第2版では、292件、口語訳では291件、新共同訳では、283件でした。


イエス様の特徴はたくさんありますが、全てに共通するものが根底にあるのではないでしょうか。
イエス様は
慰め、励まし、許し、癒し、戒め、教える、共におられる、戦ってくださる、備え、羊飼い、覆い、守ってくださる、

このように、イエス様の特徴はたくさんありますが、
これらは、「イエス様が私たちを愛してくださってる」から、
してくださることと言えるのではないでしょうか。。

イエス様の愛は・・・
ヨハネ15:13
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
1ヨハネ4:8
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
1ヨハネ4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハネ4:16
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。


十字架で命を捨てるほどの愛、全く自分の為ではなく、わたしたちの為に命を捨てるほどの愛。
これを十分に味わい、受け止め受け入れましょう。

そして、このような最高の愛で愛してくださっているイエス様が私たちにしてくださる最高のこととは何でしょうか。
それが「救ってくださる」ことです。



2.「救い主なる方」

使徒 4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。

イエス様による以外、救いはない。
イエス様がどんな方・・・という時に、救い主であることを抜きには語れない。

イエス様は慰めて下さるが、
・・・人の慰めがあるかも知れない、
・・・人の励まし
・・・医者が癒し(治す)
・・・親が戒め教える
・・・伴侶が共にいる
・・・主人が戦ってくれる?
・・・親は備え
・・・誰かが覆い(米銃乱射事件の教授)
・・・誰かが守ってくれる・・・かも。

でも、どんな人も私たちを罪から救ってはくれない。
わたしたちを罪から救って下さり、永遠の命を与えてくださる方は、イエス様だけなのです。

だから、イエス様が救い主ということは、他のイエス様の性質とは別格なのです。
これを同等に扱ってはいけないと思うのです。
「イエス様は、癒してくださいますよ。祝福してくださいますよ。必要を満たしてくださいますよ。救ってくださいますよ。」
「じゃあ、イエス様に癒していただきたいし、祝福していただきたいし、必要を満たして欲しいです。でも、別に救いは必要だとは思ってません」って人がいたら、それは間違いです。

イエス様は私たちを救ってくださる。
これがなければ、イエス様の他のあらゆる性質を本当の意味で知ることはできないのです。
たとえ、癒され、満たされても、救われていないのなら、それは無意味ですよね。


ですから、これだけは、いつも心に留めておきましょう。
決して忘れてはいけないことです。
「たとえいろんなことがよくわからなくても、
イエス様は私を救ってくださる方」
これだけは言えるのです。



決)無条件で愛しているが故に、私たちにいつも良き方であり、
何よりも私たちを救い、永遠の命を得させてくださるのがイエス様です。

更に、イエス様がどんな方なのか、もっともっと知りたいですね。
聖書を読めば、メッセージを聞けば、賛美すれば、祈れば、・・・
神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛すれば、もっともっとイエス様を知ることができるでしょう。
そして、イエス様の素晴らしさを体験し、イエス様を見上げる歩みを続けるなら、幸いです。
祈りましょう。