07.6.17「どんなことでもできる」
ピリピ4:8-13
:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。
:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。
:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
序)どんなことでも
どんなことでもできるような人を見ると、
スーパーマンみたいだ。
といったりします。
なんでもできる人のことを指して使ったりします。
パウロは「どんなことでもできる」と書いていますが、果たしてどういうことなのでしょうか。
ここから、私たちが教えられることを見ていきましょう。
1.あらゆることに心を留める。:8
あらゆるよい方向に向かうようなことには心を留める。
みなさんは毎日、新聞を読まれたり、ニュースを見たりされていますか。
わたしもほぼ毎日、そのような情報を新聞やニュースやネットで目にしています。
テレビのワイドショーを見ておられるかたもいらっしゃるかもしれません。
それ以外にも、人から聞いたり、ラジオから聞いたり、いろんな方法で情報を得ますよね。
最近なにか気になったことはありますか。
私は介護制度についての問題や年金の問題、政治のことについても気になったりしています。
また、自分の仕事に関係する制度改革のことにも目が向きます。
少し前なら、インフルエンザの流行やタミフルの問題も気になったりしました。
それらは、まさに私が心に留めていることと言えるでしょう。
心に留めようと思って留めているものばかりではなく、知らない間に心に留まっているものもあります。
心に留めるまではいかなくても、目にして気になることはたくさんあると思います。
そして、それらの情報は、いい情報もあれば、悪い情報もあるのです。
それらの情報を得ることはある意味大切なことですが、私たちの心に留めることを考えるとき、そのすべてを心に留めるべきでしょうか。
8節を読むと、「すべて・・・なこと・・」というように、
「すべて」という言葉がついています。
すべての・・・
真実なこと
誉れあること
正しいこと
清いこと
愛すべきこと
評判の良いこと
徳と言われること
称賛に値すること
があるならば、そのようなことに心を留めなさい。とあります。
これは、そのようなあらゆる良いと思われることや良い方向へ向くようなことに対しては、心に留めるようにという意味と言えるのではないでしょうか。
知ることは良いことも悪いことも知るでしょう。
ある意味これは、避けることはできません。よい情報だけしか目にしない、耳にしないということはできません。
しかし、その情報や出来事等に対して、心に留めることは、私たちの側で出来ることだと思うのです。
これは罪についても同じようなことが言えますね。
罪の誘惑は避けられないかもしれませんが、罪を犯してはならないように。。
鳥が頭の周りを回ることをやめさせられなくても、頭に巣を作ることはさせないように。。。
パウロは、すべての「あらゆる良い方向にむかうようなことに心を留める」ことをここで勧めています。
その情報の大きな一つが、「聖書」です。
神のみ言葉には力があります。私たちを変える力さえあります。
他にもいろいろあるでしょうが、例外なく絶対的にこれを心に留めることは間違いないといえるのは、「聖書」です。
そこには、真実も清さも正しさも愛すべきことも、、、すべてが書いてあります。
これらを心に留めるならそれは素晴らしい第一歩と言えるでしょう。
私たちは、良い方向、前に向かう、プラスに向く、、そのようなことに心を留めるものになりたいですね。
そのためにも、イエス様に心を向け、聖書を心に留めるなら幸いです。
2.あらゆる境遇に対処できた。:11-12
パウロはあらゆる境遇に対処できる人だった。
先日、仕事である現場に行ったのですが、昔からの集落で、車がすれ違うのには困難な道を何度か曲がっていきました。
そのときに、私の普通車で、なんとかいけたのですが、「軽自動車だったら、もっと楽にいけるだろうな」と思いましたし、実際、以前、軽自動車じゃなかったので、入っていけなかった現場も何度かあったのです。
もし、車を何台も持っていて、ワンボックスの8人乗り、4ドアセダン、2ドアのスポーツカー、4WDのジープ、4WDの軽自動車、ワンボックスの軽自動車、原付、、、等などだったら、現場に合わせて車を乗っていくでしょうし、行き先に合わせたり、行く人数に合わせたり、行く目的にあわせたりするでしょう。
あらゆる種類の車をもっているならば、どんな状況にも対処できるわけです。
パソコンの話になりますが、私はエクセルやワードといったものが今までほとんど使ってきませんでした。昨年の9月にPCを買い換えたときに、仕方なくではありましたが、オフィスを導入したのです。ところが未だにワードについては、ほとんど使えません。
思うように操作できず、結局、簡単な文書を打つときくらいにしか使っていません。
少し、体裁を整えたいようなときは、エクセルで文書を打ったりしているくらいです。
ですから、大した書類は作れませんが、今のところなんとかやっています。
ところが、ワードやエクセルや他のオフィスのソフトを使いこなしている人ならば、本当に複雑なこともやってのけてしまうのです。
それは、オフィスのソフトの知識の豊富さゆえに、あらゆる状況に対処できるのです。
このように見ていくと、あらゆる境遇に対処できるというのは、ある特定のことだけしかできないとか持っていないということでは難しいようです。
しかし今、例にあげたようなことは、物であったり、スキルであったりするので、努力次第ではなんとかなるものです。
ただ言えることは、それらはあらゆるものやことをまずは自分のものにしたり、経験したりする必要があるのです。
パウロがあらゆる境遇に対処できる人であったのは、このようなこととは直接関係ないかもしれません。
あえて、関係付けて話すならば、
軽自動車でしか入れないような現場に行ったとしたら、「入っていけないから止めだ」といってやめてしまえば、対処できていないことになりますが、
「軽自動車じゃないと入れないけど、途中までいって、そこから歩いていけば現場にいけるから、そうしよう。」とするならば、車で現場までいけなくても、歩くという方法を通して、その仕事に対処できています。
ワードが使えないので、ある文書が作れないとしても、エクセルでなら作れるから、とか、手書きなら作れる、とか、等で、とにかくその必要な文書を作れたなら、対処できているわけです。
パウロもまた、貧しい中でも生きていく道を知っていたし、豊かさの中で生きていく道も知っていたり、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇で対処できる秘訣を心得ていると言いました。
貧しさを解決して豊かになったり、飢えているから飽くほどなったり、乏しいから富をえる方法というのではなく、置かれているあらゆる境遇に対して、対処できるというのです。
ですから、私たちも今いろんな境遇におかれていたり、日々いろんな境遇になりますが、そのときにそれに対処する秘訣を知るならば、それは素晴らしいことです。
その答えが・・・
結)私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。:13
私を強くしてくださる方、とは誰でしょう。
イエスキリストです。
イエス様によって、どんな境遇におかれても対処できるのです。
あらゆる境遇におかれたときに、「できない・・」という思いに支配されていては、イエス様の出番はありません。「できるはず・・」という前向きな思いで主に拠り頼むとき、イエス様の出番があるのです。
一つ目で話したように、あらゆる良い方向に向くことに心を留めているときに、そのような思いを助けてくれるでしょう。
聖書をはじめとするあらゆる良い方向に向くことに心を留め、
私を強くしてくださるイエス様により頼むときに、人生のあらゆる境遇の中で対処し、どんなことでもできるという歩みとなり、イエス様から来る実を結ばせていただけると信じます。
このイエス様にさらに近づき、さらに親しく、共に歩むものとなりたいですね。
祈りましょう。
2 Comments:
はじめまして♪
みことばの意味を探していて、ここのホームページを見つけ、ブログにコピーさせていただいちゃいました。
どんなことでもできる・・・素晴らしいメッセージをありがとうございます。
列王記と同じ言葉でも、すごく意味が深くなりますね。
とても感動しました。
これからもよろしくお願いいたします。
かぐや姫さん
コメントありがとうございます。
お役に立てたなら幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
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