07.6.10「主が戦われる」
出エジプト 17:8-16
:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
:9 モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。
:11 モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
:12 しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。
:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。
:14 主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」
:15 モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、
:16 「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」と言った。
序)アマレクがイスラエルと戦った。
アマレクというのは、エサウの孫の一人。
イサクとリベカの長男エサウと二男ヤコブ。
そのエサウのたくさんいる孫の一人がアマレクです。創36:10-
イスラエルは、ヤコブの子孫ですから、もとは兄弟です。
創27:39-40を見ると、
:39 父イサクは答えて彼に言った。
「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。
:40 おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。おまえが奮い立つならば、おまえは彼のくびきを自分の首から解き捨てるであろう。」
ヤコブが父イサクを騙して、長子としての祝福をエサウから奪ってしまったからでした。
それで、エサウは、父イサクが死んだら、それからヤコブを殺そうと思うようになったと書いてあります。
エサウの子孫であるアマレクがヤコブの子孫であるイスラエルのところに来て戦ったのは、このイサクの言葉のとおりになっているのかもしれませんね。
おのれの剣によって生き・・・とか、おまえが奮い立つならば彼のくびきを自分の首から解き捨てるであろう・・・とかありますから、剣によってイスラエルと戦って、自らのくびきを解き捨てようとしているという意味なのかも知れませんね。
イスラエルがエジプトに寄留して、この脱出までが430年ですから、もともと兄弟なのに、4~500年も経つと、戦争するような関係になるかもしれないんですね。
室町時代には実は兄弟だったのに、今ケンカしてるって人もいたりして。。。
それはさておき・・
アマレクとイスラエルはそういう関係だったのですが、私たちはこの戦いを通して、教えられることも多々あります。
一緒に見ていきましょう。
1.主に手を上げていると優勢になった。
これは「祈り」を象徴しているとも言えるかもしれません。
少なくとも、「主により頼んでいる」状態を現しているのではないでしょうか。
別に、ヨシュアがモーセの手を見て、下げているから、後退したとか、戦うのをやめたというわけではありません。
ヨシュア達は戦い続けていたのですが、モーセの手が上がっていると優勢になり、おろしていると劣勢になったのです。
モーセは手を上げ続けることは困難でした。
ですから、モーセを石に座らせ、アロンとフルが両側で、手が下がらないように支えたのです。
これは、主に拠り頼み続けることを意味すると思います。
私たちも人生のいろんなことの中で、主に拠り頼んで始めたけど、軌道に乗ってくると調子に乗って、自分でやろうとしてしまう時があるかもしれません。
新改訳
ガラテヤ 3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
口語訳
ガラテヤ 3:3 あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。
主に拠り頼んでスタートしたことは、最後まで主に拠り頼んでいくことこそ、信仰と言えるのではないでしょうか。
このモーセの記事から、
主に拠り頼んでいる時にこそ、主の力が現されることがわかります。
2.アロンとフルはモーセを支え、ヨシュア達は戦った
先ほども話したように、手を上げ続けることはモーセだけでは達成できなかったのです。
アロンとフルという助け手があって、初めて上げ続けることができたのです。
また、実際に戦ったのは、ヨシュア達でした。
:9 モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
モーセは、ヨシュア達に戦いに行くように言いましたが、
これは別にヨシュア達に戦わせて、年寄りのわたしは高みの見物をしようと思って、そうしたのではありません。
モーセはモーセの役割を果し、アロンとフルはそれぞれの役割を果し、ヨシュア達は自分達の役割を果したのです。
その時に、イスラエルはアマレクに勝利しました。
モーセが手をあげたから勝ったのでしょうか?
アロンとフルが支えていたから・・・?
ヨシュア達が戦い、強かったから・・・?
いえ、それら全ての働きがあったから、勝利があったのです。
教会もいろんな人がいます。
いろんな働きがあります。
でも、その働きの一つでもかけるなら、完全な勝利は現されないのかも知れません。
いろんな働きがあって、優劣はなく、全ての働きが一致した時に、主の力が現されるのです。
自分のやるべきこと、できることはなんでしょうか。
そのことを一つずつするなら、幸いですね。
結)主が、アマレクと戦われる。
誰が戦ったのか?
確かにヨシュアは直接戦いに出ていった。しかし、モーセもアロンやフルも主に手を上げるということを通して一緒に戦った。
そして、この勝利を主は、
:14 主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」
そして、モーセ達は、
:15 モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、
:16 「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」と言った。
つまり、「主御自身がアマレクと戦われた。そして代々に渡って戦われる」ということです。
最初は、アマレクがイスラエルと戦った(:8)、のですが、
実はアマレクは主と戦っていた(:16)のです。
これは、イスラエルが主に拠り頼み続け、それぞれが自分のすべきことをしていった時に起こった出来事です。
主が戦われ、勝利されるときはこういう時なのです。
私たちもまた、主により頼み続け、自分にできること、すべきことをしていくなら、主の御業、主の勝利を体験することでしょう。
祈りましょう。
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